JOCA東北 地方創生

投稿日: 2021年7月12日

復興から創生へ。−JOCA東北の拠点がオープン−

入園式
「J’s保育園岩沼」の入園式の朝、スタッフがお迎え

さる3月27日、宮城県岩沼市に(公社)青年海外協力協会(JOCA)東北支部の新しい拠点施設「JOCA東北」がオープンしました。2011年、東日本大震災の2日後から、多くの青年海外協力隊経験者が現地に入り支援をスタート。それが縁で、岩沼市とJOCAが連携した岩沼版「生涯活躍のまち」構想へとつながり、初の保育園併設の「IWANUMA WAYプロジェクト」が始まりました。開設までをリポートします。

ともに歩んでいく

 JOCAが岩沼市に関わりをもつようになったのは10年前の東日本大震災のとき。2日後には多くの青年海外協力隊経験者が被災地に入りました。津波で甚大な被害を受けた岩沼市でJOCAは医療支援や支援物資管理、拾得物管理などの活動からスタートし、同年6月には岩沼市と仮設住宅サポートセンター運営にかかる協定を締結。翌月には仮設住宅入居者の支援拠点である「里の杜サポートセンター」に業務調整員と国内協力隊員が着任し、仮設住宅でのコミュニティづくりを通じて、入居されている人々の孤立を防ぐ活動をしてきました。その結果、仮設住宅で一人も自死者を出さなかったことが、岩沼市とJOCAが連携しての岩沼版「生涯活躍のまち」構想へとつながり、2015年8月から「IWANUMA WAYプロジェクト」としてスタート。6年の歳月を経て、JOCA東北の拠点開設にいたったのです。

 拠点オープン直前、岩沼市では東日本大震災の余震である震度5の大きな揺れが起こりました。建物の一部も損壊し、簡単に「復興した」とはいえないことを思い知らされたなかでの出発。開設式典でJOCAの雄谷良成会長は、「支援活動を続けてきたぼくらも大きな地震を経験しました。これからは(JOCAと住民が)支援する、されるという関係ではなく、ともに復興、創生に向けて歩んでいく段階に入ったことを実感しています」。

 来賓の祝辞で西村明宏・衆議院議員は、「途上国の地に根を張って、子どもの教育や農業支援など、様々な活動に取り組んできた経験を日本で生かしていただきたい」とエールを送り、菊地啓夫・岩沼市長は、「震災発生から10年。ここまで来られたのも、市民の努力はもとより、JOCAのサポートがあったおかげ。それが生涯活躍のまちにつながった。本市は誰もが安心して暮らせるまちづくりを目指しており、それにJOCAが貢献してくださると思っている」と期待を語られました。最後に登壇した内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局の原田浩一・内閣参事官は、かつてJICA長期専門家としてミャンマーに赴任し、復興庁にも出向して岩沼市を訪れたことがあるそうで、被災沿岸地区で羊を飼育している「いわぬまひつじ村」などの歩みにも感銘を受けたと話されました。

ここはどんなところですか?

 セレモニーの後、2階の食事処「やぶ亀」に食事に来られた、岩沼市で民生委員を務めているという女性3人は感慨深げでした。

 「2014年ごろ、Share金沢を見に行って、『こういうところが岩沼市にもあればいいなあ』と話していました。それがいまこうしてできたなんて不思議な気持ちです」。この場をどう活用していくかを考えるのはこれからでしょうが、男性の独居高齢者が地域へ出てくるためにどうしたらいいのかは、民生委員の方々の悩みのひとつだとか。

 1階の遊具のある部屋で娘さんが遊ぶ姿を見守っていた若いお父さんは、ここに何ができるのかずっと気になっていたそうです。

 「私は(宮城県)松島町出身なのですが、仕事の関係で岩沼市に引っ越してきました。子どもを通して地域のお父さんたちと仲良くなれればいいですね」。ここは保育園だけでなく、障害者の就労継続支援や高齢者のデイサービスの場にもなっていること、そしてスタッフの多くが青年海外協力隊経験者であることを伝えると、目を輝かせて「スタッフの人に『どこの国にいたんですか』って聞いてみます」。

 気になる建物のなかはどうなっているのでしょうか。

 これまでJOCAの拠点の設計に取り組んできて、2月に亡くなった株式会社五井建築研究所の西川英治会長の最後の仕事になったここは、ところどころに死角をつくりつつ、常に人の気配が感じられるようになっています。2階のGOTCHA! WELLNESS(健康増進施設)でバイクのペダルを漕ぎながら、吹き抜けになっている1階の保育園の講堂が見下ろせたり、2階の中央に駄菓子コーナーを設けて子どもが集まるようにしたり、さりげない仕掛けが随所にある。そして、人の目線。食事処では畳に座る人、椅子に座る人、一段高い間に座る人、そして厨房(厨房の床は畳より低くなっている)に立つ人のそれが一様ではないのが、そこにいる人の心地よさを誘っています。子どもから高齢者、障害や疾病のある人・ない人、地元や近隣に住む国籍を問わない人たちの交流を自然に促す、故・西川会長と雄谷会長がお互いの領域(建築と福祉)に足を踏み込みながら完成した空間といえます。

 ちなみに施設内部のデザインを検討していた際、室内に保育園、温泉、トイレといった案内板をつける案に雄谷会長は反対しました。

 「君たちの家に『ここは台所、あそこはお風呂』なんて案内板ある? ここは地域の人たちが日常的に訪れる場であって、初めての人はウロウロしながら探せばいいんだよ。そうするとなんとなくどういうところかがわかってくるし、『トイレはどこですか?』の一言から会話が生まれるかもしれないでしょ」

コロナ禍から学び、進化へ

 新型コロナウイルスの感染拡大は現在も続いています。

 「人と人が距離をとらなくてはならない時代、私たちは、『ひとりが好き』という人間でも、ひとりでは生きてはいけないことを痛感しました。だからこそ、障害のある方、認知症の方、日本に来ている外国の方などと一緒に乗り越える、そのために元青年海外協力隊は自分たちの経験を生かせると思います」という雄谷会長は、「できないことを心配するだけでなく、自分たちができることを丁寧に積み重ねていく大切さ」を強調しました。さらに、「コロナ禍だからこそ、バランスよく食べ、適度に運動し、しっかり睡眠をとる。そうすることでぼくたちはコロナ禍前よりも健康で元気になる。まずはJOCAのスタッフ自身が実践していこう」とも。

 オープンから数カ月は訪問する人は多いでしょうが、これはご祝儀。問題はそれからです。「この1年間を回すことで施設の真価が見えてくる」(雄谷会長)のでしょう。都市郊外型の生涯活躍のまち。JOCAのこれまでにない、新しいかつ大規模のプロジェクトが本格的にスタートです。

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