【静岡県】「帰国後30年。このままでいいのかな?」本杉和秀さん(昭和52年度2次隊/バングラデシュ/稲作)[2009年10月10日掲載]

小学6年のとき、「夢の新天地ブラジルを目指せ」という新聞記事に惹かれ、ブラジルに広大な牧場を持つことを夢見ていた。昭和40年頃のこと。海外移住のことを調べ、移住者の悲惨な実状も知った。親類は猛反対。

だが夢は捨てきれず、農業機械の勉強に励むなか、恩師から協力隊のことを知りバングラデシュ隊員となった。任地の学生ストライキに翻弄されながらも灌漑用の手押しポンプを普及させ、青春の汗を流した。

日本から離れた所に住むと無性に故郷が恋しくなることを実感した私は、異国で一旗揚げる気があるなら、日本でも頑張れば何とかなるだろうと思った。以来、ふるさとで自動車部品工場を営んでいる。ブラジルで牧場主となる夢は変わってしまったが、畑違いでゼロから切り開いて来たことには変わりない。

現在55歳。帰国後30年が経つ。協力隊OBとして何かしなければと思いながらも、忙しいを口実に本当に何もしてこなかった。
仕事に追われ、でも充実はしているから時間が流れるように過ぎていくんだと自分に言い聞かせようとしても、なんとなく'このままでいいのかな?'と思いながら過ごしていた。

そんな時、ある日突然JOCA中部のキャラバン隊からメールが来た。キャラバンで牧之原市を訪れ、自治体と帰国隊員の連携を進めていきたいこと、牧之原市は「まちづくり協働推進リーダー」を募集しており、協力隊OBにも参加を求めていると。今まで行政のやる事には殆ど関心はなく、会合があっても時間が取られるのは嫌だなぐらいに考えていた。

でも、メールの末尾に「キャラバンがきっかけとなって、協力隊OBの経験が自治体で活用されれば素敵だなぁと淡い夢をいただいております。無理のない範囲で、楽しくやれる範囲で、ご協力いただけたら嬉しいです」
この言葉が、30年持ち上がらなかった重い腰をあげてくれた。

いろいろ理由をつけても何も始まらない。気負わず、素直に、有りのままの自分ができる範囲でやればいいと。時間はやりくりすれば何とかなるのではないか、自分が役にたてるかは今は考えない。まずは参加してみようと応募した。

牧之原市では「男女協働サロン」という仕組みがあり、老若男女がまちづくりの議論に参加できる場として、地域の問題を解決するために話し合いをするものである。
私はまちづくり協働推進リーダーとして、この話し合いに中立的な立場で参加し、会の進行をサポートする役となる。ゆくゆくはファシリテーターとしてまちづくりの中心を担う役にステップアップできる。

リーダー講習では、会議の進め方などいろいろなことを習ったが、55歳となった自分の頭の固さだけはしっかり認識できたという有様。これからはじまるリーダーとしての活動。年齢を感じながらやるのも悪くない気がする。

考えてみれば、我がふるさと牧之原市は沢山の問題を抱えている。

多くの課題を抱えつつ開港した富士山静岡空港。地域への影響や空港の有効活用を考えていかねばならない。市内の自動車関連産業は、不況で多くの事業所が打撃を受けた。わが工場も然り。8月11日の地震被害で未だビニールシートで覆われた屋根が目立つ。東海大地震に備え地域で対策を練らねばいけない。他にも、歩道のない道を通学する児童のために道路整備も必要だ。
先日生まれた初孫の将来を思うと他人事ではない。

自分たちではどうすることも出来ないような大きな問題から、身近な問題まで山積している。男女協働サロンではいろいろなことが話し合われることになるだろう。

私の経験を活かせることがどれほどあるか分からない。あれこれ思うなか、バングラデシュで出会った尊敬する故先生の言葉を思い出した。

「人の為と書いて偽り。『人の為』に何かをしようとしても、本当は人の為ではなく、結局は自分の為になることなんだ」

有りのままの自分を出して、自分の出来ることをできる範囲でやっていこうと思う。帰国後「30年を生きた」から「30年が活きた」ことを実感するために。

本杉和秀(昭和52年度2次隊/バングラデシュ/稲作)

 

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