オリンピック・パラリンピックと青年海外協力隊~スポーツが持つ国際協力の可能性(2016年8月掲載)

リオオリンピックが閉幕し、次回大会はいよいよ2020年、東京での開催となります。さまざまな形でオリンピック・パラリンピックに関わりのある帰国隊員から、スポーツを通じた国際協力や4年後の東京大会に向けた取り組みなどを聞きました(司会は、青年海外協力協会事務局長北野 一人〔昭和58年度1次隊・モルディブ・水泳〕)。 

途上国のスポーツ事情

北野一人・JOCA事務局長
北野JOCA事務局長

北野 赤尾さんはエルサルバドルで柔道のオリンピック選手を指導しました。活動中どんな苦労がありましたか。

 

赤尾OG
協力隊員時代、コーチとしてロンドン
五輪に参加した、赤尾OG

 

赤尾 私はナショナルチーム男女6人の指導を任されました。日本では打ち込みや乱取りなど基本的なことをやってから稽古に入るのですが、向こうの選手は基本的な練習もそこそこに、すぐに稽古をしたがります。指導者も時間にルーズで、練習は時間どおりに始まらないような状況でした。

そこで私は、時間前に道場を開けて掃除をし、さらにトレーニングを組み入れて日本のようなスパルタ式の練習をしました。すると選手たちは全く来なくなってしまいました。どうしたら来てくれるだろう、道場までのバス代を渡すことはできないし・・・、と思い悩んだ結果、思いついたのが、食事を作っていくことでした。 毎日5キロのパスタを作り、選手たちと一緒にお昼を食べるようにしたところ、ようやくコミュニケーションが取れるようになり、私も胴着を着て毎日組んであげることで、選手たちの調子がわかるようになりました。

そして、その甲斐あってナショナルチームから1人、オリンピックの出場が決まりました。

北野 エルサルバドルの柔道は、どのくらいのレベルですか。

赤尾 中南米では個人で1位、2位を取る強豪国ですが、全米・欧州ではすぐに負けてしまいます。それでも、オリンピックに出場したカルロス選手のランキングは67位から26位に上がり、大陸枠で出場できたのです。

麻生 ランキングを取るのに国際大会に出ますよね。その資金はどうしたのですか。

赤尾 柔道協会が資金出しを渋るので、数少ないチャンスの中で欧州に行き、大きな大会に連続して出場することで、ランキングを上げました。

障がい者スポーツの歴史と現状

北野 麻生さんは日本パラリンピック委員会のアドバイザーをされていますが、隊員時代は理数科教師でした。どのような経緯でこの道に進まれたのですか。


日本パラリンピック委員会アド
バイザー等を務める、麻生OB

 

麻生 私は帰国後に大分県にある社会福祉法人太陽の家に就職しました。そこは障がいのある人の自立と社会参加を支援する福祉団体で、設立当初からプールと体育館を持ち、リハビリの手段としてスポーツを取り入れ、スポーツのクラブ活動などにも力を入れていました。「協力隊でアフリカに行っていたのなら英語ができるだろう。この仕事をやりなさい」と言われたのがフェスピック連盟の仕事で、アジアと南太平洋の国々が一緒に障がい者スポーツの大会を開く、その運営事務局でした。2006年にフェスピック連盟は解散し、アジアパラリンピック委員会(APC)に移行しています。

北野 パラリンピックはいつから始まったのでしょうか。

麻生 記録上は、パラリンピックという名前が使われ始めたのは1960年のローマ大会からですが、一般的になったのは1964年の東京大会からです。当時の日本では、障がい者は病院や療養所に入っていて家に帰れない、仕事もできない、社会復帰もできないという時代でした。東京大会の日本人選手は、療養所や病院にいる比較的アクティブな人に参加してもらったわけです。 一方、欧米の選手たちはリハビリをして社会復帰し、仕事も家庭も持っていて、競技が終わると街に出かけるなど活発だったんですね。それを見た日本の選手たちは、障がいがあることは人生の終わりではない、自分たちも普通の社会人として生きてゆくべきだと自覚。マスコミもそれを報道して、社会が変わり、政府も法律を整備し、そこから日本の障がい者スポーツの流れが始まりました。

北野 50年以上が過ぎた現在はいかがですか?

麻生 障がい者スポーツはリハビリテーションの一手段として始まりましたが、今はスポーツとして発展してきています。2020年は東京でのパラリンピック開催ということもあり、大変良い方向に向かっています。 ただ、競技団体の多くがボランティアで運営されていて、組織運営などに苦労しています。国際大会に出るためには長期計画を立て選手のランキングを上げていくなど、育成、国際大会への参加の準備や事務作業が多いのに、それを限られたスタッフで処理してゆかなければならないことは大きな課題です。

 最近は協力的な企業も増え、国内の関心も高まっていますね。

麻生 確かに。以前は障がい者スポーツは新聞の社会面に載っていたのですが、今はスポーツ面に載るようになりました。これは大きな進歩です。赤尾 パラリンピックの選手はメダルを取るためにどんな強化をしているのですか。麻生 競技団体ごとに独自にやっています。進んでいる団体は、健常者と一緒にやっているところもあります。

北野 一方、途上国の障がい者スポーツはいかがでしょう。

麻生 基本的に運動が好きな人たちがやっていますが、練習する場所がなく指導者がいません。今度ジンバブエで講習会を開くのですが、選手と指導者の競技技術のレベルアップのほかに、クラス分けなどの「専門知識」を習得してもらう必要があります。障がい者スポーツは、障がいの種類や機能の程度によってクラスが分けられています。これをきちんと把握しないと競技ができませんし、国際大会にも出られません。北野 協力隊員が障がい者スポーツの世界で活躍できる余地はありますか?麻生 たくさんあると思いますね。途上国の障がい者のスポーツ振興においては、途上国の県レベルの大会や国体がうまく運営できるよう、そのアドミニストレーションや大会運営の部分でも隊員に活躍してもらえたらいいですね。

2020年東京五輪に向けて協力隊が期待されること 

岸さん
日本スポーツ振興センターの岸OB

 

北野 岸さんは、リオの次の2020年東京に向けたお仕事をされていますね。

 東京への招致活動の中で、政府が「2020年までに100ヵ国以上で1000万人以上にスポーツを通した支援をしていく」と宣言したスポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)という事業の事務局にいます。この事業を官民連携、オールジャパンで進めていくためにスポーツ・フォー・トゥモロー・コンソーシアムというプラットホームを作っています。現在は、スポーツを通じた国際貢献に関心を持つ200団体以上が会員となり、さまざまな国でスポーツの価値を広げる活動を行っています。

北野 JOCAも、平成27年度に、SFT認定事業としてマラウイとグアテマラで運動会を実施しました。SFTが協力隊に期待することは何ですか。

 一つは、スポーツ隊員の倍増で、これまで以上に協力隊によるスポーツの支援を増やしていこうという動きです。しかし、個人的には、体育隊員やスポーツ系の隊員に限らず、さまざまな職種の隊員にスポーツを活用してもらえればと考えています。私自身はケニアでサッカー大会を開催し、集まってきた子どもたちや地域住民と清掃活動を行ったり、環境教育やエイズ対策の隊員と協力して、HIV/AIDSのワークショップを行なったりしました。スポーツにはさまざまなものをつなげる力があります。 帰国隊員についても、2020年に向けて学校などでスポーツと途上国を絡めた話をする機会は増えてくるかと思います。普段先進国しか見ていない子どもたちも、途上国に目を向ける良いチャンスだと思います。 

北野 最後に、オリンピック・パラリンピック、協力隊などをキーワードに、一言お願いします。

 2020年に向けて国内でもいろいろなものが動く時期だと思います。ある自治体ではオリンピックの際のキャンプ地誘致を目指し、市役所の職員として帰国隊員を採用しました。現役だけではなく、帰国した隊員でもオリンピック・パラリンピックにはさまざまな形で関われる可能性があると思います。また、オリンピックでは強い選手やメダルの数に注目が集まりますが、例えば、リオ五輪には難民選手団が出場します。勝ち負けだけではないスポーツの価値を、協力隊経験を踏まえて伝えていければと思います。

赤尾 私はオリンピックに出たいという思いから柔道を始めました。もちろん日本代表選手として参加できたら良かったのですが、海外で柔道を教えることによって夢の舞台に立てたことがとてもうれしかったです。日本とは比べものにならないくらい、物もなく環境も悪い中で、彼らが必死になってオリンピックの出場権を獲得して、私もそれを一緒に見守ったことがとても貴重な体験でした。ひとつのスポーツを続けることによってオリンピックが近くなる、そんなことも子どもたちに伝えて、2020年に向けて世界に羽ばたく柔道家たちを育成していきたいと思っています。

麻生 私は2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の後が気になっています。大会が終わった後も途上国の障がい者スポーツの振興支援を継続していくために、今の時点で種をまいておかなければなりません。去年は国際交流基金の支援でジンバブエに行き、車いすバスケットボールと車いすテニスの講習会を行ないました。今年は昨年の続きもやりますが、外務省のスポーツ外交推進事業で陸上競技の講習会も実施します。日本パラリンピック委員会と競技団体、国際交流基金などが連携して実施し、SFT事業の一つとして認められた。今、いくつかの核になる団体がつながりかけていると感じます。今後はもう少しうまくつなげていき、2020年以降も障がい者スポーツ分野の国際協力の可能性を拡げていけるといいですね。

(会報『Springboard』2016年7月発行第171号掲載記事) 

プロフィール(50音順)

赤尾(旧姓 藤後)あさみ(平成23年度1次隊・エルサルバドル・柔道)
大分県の公立中学校教員(体育)。1988年生まれ、鹿児島県出身。大学卒業後に協力隊に参加。2012年ロンドンオリンピックに教え子を引率して参加。帰国後はスペインへの語学留学を経て、日本の大学院に進学。今年の4月から現職。

麻生 学(昭和54年度2次隊・マラウイ・理数科教師)
障がい者スポーツ普及・開発コンサルティング代表、日本パラリンピック委員会アドバイザー、アジアパラリンピック委員会(APC)理事兼大会調整委員会委員長。1953年生まれ、大分県出身。協力隊から帰国後、社会福祉法人太陽の家に入社。極東・南太平洋障がい者スポーツ連盟(FESPIC連盟)とAPCで理事や大会調整委員長などを務めるかたわら、JICA草の根パートナー事業やシニア海外ボランティアを通じて、マレーシアでも活動。

岸 卓巨(平成23年度2次隊・ケニア・青少年活動)
独立行政法人日本スポーツ振興センター情報・国際部スポーツ・フォー・トゥモロー・コンソーシアム(SFTC)事務局プロジェクトマネジャー。1985年生まれ、東京都出身。大学卒業後、公文教育研究会に勤務したのち協力隊に参加。ケニアでは、警察に補導された少年少女たちの施設で勉強やスポーツを教える傍ら、地域にサッカークラブを設立し、サッカーを通した地域課題解決の取り組みを行なった。2014年より現職。

(敬称略)

 

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