津波で流出した鳥居を再建した、日米「心」の交流~プロジェクトを率いた内山貞文さん(昭和54年度2次隊・タンザニア・造園)[2016年7月1日掲載]

2016年5月2日、青森県八戸市。大久喜漁港内の厳島神社に、「献納 Portland Japanese Garden」と刻まれた2基の鳥居が奉納された。これらの鳥居は東日本大震災による津波で流出し、2年後、約7千キロ離れたアメリカ西岸に、笠木(最上部に渡す横木)が漂着。パズルを組むような調査と数百人を超える日米の人々の協力の下、日本に返還され、元あった地に再建された。この日の奉納式には、日米から約60名の関係者が列席。3年に及ぶ鳥居返還プロジェクトを率いたポートランド日本庭園の内山貞文さん(昭和54年度2次隊・タンザニア・造園)は、「震災からの復興を祈るアメリカ人の心を、笠木に乗せて伝えたかった」と感慨深く話す。

再建された厳島神社の鳥居
手前の2基が再建された鳥居(2016年5月2日撮影)

一枚の写真

「これは何だろう」。2013年3月22日、アメリカ・オレゴン州にあるポートランド日本庭園でテレビ番組の取材を受けていた内山さんは、テレビ局スタッフから、携帯電話に届いた写真を見せられた。海岸で撮られたという。赤い塗料が塗られ、建築物の一部のようだった。

「日本の神社の鳥居の一部ではないか」。内山さんが答えると、取材内容が急遽変更された。内山さんは、この漂着物が日本の神社のものであると解説した。

浜辺に漂着した笠木
浜辺に漂着した鳥居(2013年3月22日)

 

東日本大震災後、オレゴンの海岸には、難破船や浮桟橋などさまざまな物が日本から漂着した。約2週間後の4月8日には、2基目の笠木が同じ浜に流れ着いた。神聖な神社の建造物を祖末には扱えないと、北米最大の日本文化紹介機関として知られるポートランド日本庭園に相談が持ち込まれた。

札幌市との姉妹都市連携をきっかけに1963年に設計されたポートランド日本庭園は、広さ2万2千平方メートルの敷地内に五つの異なる庭園を配置。年間来園者数は30万人を数え、旅行サイトや専門誌等で、日本の名園にもひけをとらない美しさが高く評価されている。内山さんは、2008年に同庭園の管理責任者に就任した。
 

笠木の移動

ポートランド日本庭園に運び込まれた笠木と庭園スタッフ。右端が内山さん(2015年7月20日)

偶然に導かれた調査

ポートランド日本庭園は、日本のさまざまな組織や機関と連携し、庭園を通じてアメリカで日本文化を紹介している。内山さんは協力機関との打ち合わせのため、年数回日本に出張しており、2014年5月の出張時には、同園のヴォラム理事と共に宮城県気仙沼市と岩手県陸前高田市を訪れた。2基目の笠木の額束には、奉納者として高橋利巳さんの名が刻まれており、内山さんらはその写真を手に、行く先々で会う人に尋ねて回った。

手がかりは得られなかったが、調査の様子がNHKニュースで報道されると、多くの協力の申し出が寄せられた。庭園の国際諮問委員を務める味の素株式会社の伊藤雅俊取締役社長(当時、現在は会長)は、秘書室を動員して岩手・宮城・福島3県の神社庁に電話調査を実施、津波で鳥居が流出した神社の一覧を作成した。そこには二百数十社が挙げられていたが、残念ながら該当する神社はなかった。

流出した鳥居は、平地に建ち、漁業にまつわる神社に奉納されたのではないか―。内山さんらは推測を立て、リストに含まれなかった青森県内で、太平洋に面し、漁港が集まる八戸市を対象に調査を始めた。協力者の一人、福島県いわき市で郷土史を研究する酒井仁さんは、奉納者の名前が地元の郷土史に記録されているかもしれないと、八戸市博物館に電話をかけた。たまたまその電話を取ったのが、地域に詳しい古里淳副館長だった。経緯を聞いた古里副館長は奉納者の高橋利巳さんとは相識の間柄で、電話を切った後、高橋さん本人に確認を取ってくれたという。そして、2基目の笠木は高橋さんが厳島神社に奉納したものであると判明し、1基目の笠木も同じ神社の鳥居だったことが特定された。オレゴンの浜辺での発見から1年4か月、2014年7月のことだった。その年の11月、内山さんは庭園関係者と共に八戸を訪れ、高橋さんらに会って確認した上で、鳥居再建への協力を約束した。

復興のメッセージを載せ、日本に帰還

笠木はポートランド日本庭園で公開され、復興を願う来園者からのメッセージと共に、2015年8月にオレゴンを出港、翌9月に横浜に到着した。輸送や通関、荷受等には、日米双方からの協力を得て滞りなく進み、10月に横浜で執り行なわれた返還式典には、キャロライン・ケネディ駐日米国大使が出席。「この笠木は日米の絆の象徴だ」と語ったという。

横浜で展示された笠木
 横浜で展示された2基の笠木(2015年10月)

協力隊を経て再発見した「日本」

内山さんは福岡県出身。造園業の家に生まれ、幼いころから職人としての技術を教え込まれていた。家業を継ぐのをためらい、青年海外協力隊に参加。タンザニアで植林活動に3年間携わり、イエメンのODA事業に、国際協力事業団(現:国際協力機構=JICA)の都市開発・造園専門家として3年間従事した。国際協力の現場で緑化事業にかかわったことで大きく考えが変わり、渡米して改めて造園を学ぶ。大学院修了後はアメリカで造園の仕事に就き、シカゴ・ジャクソンパークの「大阪ガーデン」の改修設計や、デンバー植物園日本庭園「松風園」の改修設計などを手掛けてきた。

「協力隊経験があったから、日本を外から見るようになった。最初は違う国に行ったのだけれど、振り返ってみると日本を見ているんですよ」。留学中、日本庭園がアメリカ国内で高く評価されていると知り、改めて勉強し直したという。「ここまで来るのに25年かかった」。ひと回りして日本庭園にかかわるようになった自身の現在を、内山さんは笑いながら話す。

ポートランド日本庭園
戸野琢磨・東京農業大学教授により1963年に設計された、ポートランド日本庭園は
伝統的な平庭、露地・茶室や渓流などを含む、五つの庭園様式から構成されている

「心」を伝える文化交流

姉妹都市交流などをきっかけに造られた日本庭園が、米国内には約250か所あるが、技術者不足や質の低下により、維持できなくなるものが多いという。そこでポートランド日本庭園が中心となり、技術者育成のためのネットワークとして、「北米日本庭園協会(North American Japanese Garden Association)」を2012年に設立した。

同時に、ポートランド日本庭園を本物の日本文化を伝える拠点とすべく、2017年春のJapanese Garden Instituteのオープンを目指し、現在、拡張工事が進められている。「茶道や華道は世界各地で学ぶことができるが、技だけでは到達できない。例えば、お茶を点てても『日本の心』が伝わらないと本当の意味での文化交流は成り立たない。庭園は、日本の文化や価値観を凝縮しているもの。ポートランド日本庭園は、本物の日本文化を紹介し、日本の心を伝える先鋒でありたい」。今後は、国際文化会館(東京都港区)や、枯山水庭園で知られる妙心寺退蔵院(京都市)等と連携し、日本庭園の知識を備えた米国人庭師の育成を図っていくという。
 

ポートランド日本庭園
伝統的な平庭


ポートランド日本庭園

大海や流れを表現した枯山水
 

「どうして日本庭園が笠木の返還にかかわったのかと聞かれますが、根底にあるものは同じ、『心』。笠木が大切なものとして受け止められたのは、それが日米の人々の心を動かしたからなんです」。内山さんはこう強調する。東日本大震災発生時、米国からは「トモダチ作戦」を通じた米軍による緊急人道支援や緊急物資、寄付金など、突出した規模、内容の支援が寄せられた。かつては戦争を通じて敵国関係にあった日本と米国。その隔たりを解いたのは、草の根レベルでの交流を進めてきた人々だ。内山さんらの尽力により再建された二基の鳥居は、米国で守り継がれてきた日本庭園のように、日米友好の象徴として語り継がれていくだろう。

(写真=ポートランド日本庭園提供)

関連リンク

ポートランド日本庭園
http://japanesegarden.com

North American Japanese Garden Association
http://www.najga.org/

 

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