アートプロジェクトの仕掛けをつくる 地域に刺激的で新しい視点を(2015年9月1日掲載)

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2015年8月1日に神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)で開催された、藤浩志トークイベント「アートで国際協力」の一部を紹介します。

衝撃的な美術観の違い

1986年から2年間、青年海外協力隊でパプアニューギニアに派遣され、国立芸術学校で美術を教えていました。各州政府から一人ずつ推薦で入ってきた学生たちは、それまで美術教育や音楽教育を受けたことのない若者ですが、自分たちの民族に伝わるリズムや技術に長けています。美術の場合、入れ墨をしっかり再現できるとか、木彫りの文様をうまく彫れる者たちが僕の学生でした。

あるとき彫刻の授業で、針金を使って形を作る前に、スケッチブックに自由に図面やポンチ絵を描くよう伝えました。しかし彼らはいつまでたっても描きません。時間もなくなってきていたので、下絵なしで作り始めるように言ったとたん、ものすごい勢いで作品を作り出したのです。学生はこう言いました。「だって、人や鳥がこの画用紙に入るわけがないだろう」。

衝撃的でした。僕ら日本人は「鼻が長いのがゾウさんよ」と教えられ、いわゆる記号化した絵を描いていて、動物園で実際のゾウを見て鼻が長いことを確認しています。一方、彼らは鳥の声や羽ばたく動態を知っているだけで、記号化されたものを見たことがないのです。

僕らは絵を描くとき、子どもの頃から紙を与えられます。つまり平面から描いていました。一方、自然の中には平面はないので、彼らはボディペインティングや入れ墨が基本です。自分の身体や武器である盾や鉾に、先祖の霊につながるようなものを彫り、声を出して精霊を呼び出します。つまり、身体に描いていた文様は、「先祖や自然、環境とつながるため」に描かれていて、逆に、僕たちが平面から描く目的は「伝えるため」なのではないかと気づいたのです。

パプアニューギニアでの2年間で、今までの西洋美術史中心のアート概念から、途上国から始まるアート概念の可能性を感じた僕は、帰国後、地域の中にイメージを描くアーティストになろうと決意しました。

地域主体の活動づくり

日本に戻ると、まずは地域のことを知ろうと土地関係の仕事に就いてコンサルタントのようなことをやっていました。時代は1980年代後半。どこからか前例事例を持ってきて地域に押し付ける、上から目線の計画が多かった時代で、僕には違和感がありました。

当時は自分たちが主体的になって仕組みを作るようなワークショップ手法がまだ一般的ではありませんでした。そこで、故郷の鹿児島にカフェを開き、そこを拠点に地域から発生するものを形づくる活動を始めました。ライブや展覧会、写真展など、地域の人たちと一緒に作っていくプロジェクトです。次第にいろいろな地域でやるようになり、10年、20年が過ぎました。拠点がなくても、既存の施設や小学校などを利用してビエンナーレなどアートプロジェクト等の仕組みをつくれば、いろいろな活動が発生します。さらに、演劇・音楽ホールは他の文化創造的活動の拠点施設にもなるべきだよね、と、各地のホールと一緒に音楽や演劇以外の活動をつくるワークショップも始めました。

自分の中のクライアントに応える

一方、頼まれもしないことをするのがアーティストです。僕の場合、伝えたいものがあるというより、自分が何かとつながることがモチベーションになります。

例えば、「違和感をいじる」「モヤモヤをいじる」と僕は言っているのですが、なぜこんなに世の中にプラスチックが多いのか、というモヤモヤから、3年間、家庭から出る廃品(プラスチック、ビニール)を集め、一般家庭(家族4人)でこれだけのゴミが出るんだよというのを見せ、そこにタイトルをつけて、デモンストレーションするのもいいのでは、と思いました。 パプアニューギニアでは身の回りにあるもので家やカヌーを作るのが普通です。今の日本ではそれはどういう素材なのかと考えたとき、表現活動としてこのアイディアが浮かびました。

ペットボトルでシャンデリアを作ったり、子どもたちと一緒にビニール素材でのファッションショー「ビニプラショー」という教育プログラムをやってみたり、それをタイの中高生へと広げたりと、さまざまな活動が生まれました。

僕は1960年生まれで、考えてみるとプラスチック製品がでてきたのは60年代。近所の市場だったところがスーパーマーケットになり、ワラに入っていた卵がプラスチックパックに入るようになり、ブリキのおもちゃがセルロイドからプラスチックのおもちゃに変わり、プラスチックの歴史とともに僕は育ってきました。プラスチックが原油からできていることや社会悪とされることを考えると、30年後には有機物のプラスチックに変わっているかもしれない、100年後には洋服もまったく違う素材でできているのかもしれません。僕が生まれて死ぬまでの間に、プラスチックが登場し、世の中の仕組みを全部変えて、消えてなくなるまでの時代と重なるとすれば、その時代に向き合うことは大事かなという気がしたのです。

最近は「おもちゃ」が面白い

全国の子どもたちが、いらなくなったおもちゃを物々交換する「かえっこ」という仕組みを作りました。カエルポイントという子ども通貨を使い、子どもたちの自由で自主的な活動を生みだすワークショップです。子どもたちはポイントを使って、いらなくなったおもちゃと好きなおもちゃを交換します。残ったおもちゃを次の場所に貸し出し、その地域の子どもたちが交換します。いらなくなったおもちゃが大量に集まってきて、僕の家には50万個くらいあります。実は今、そのおもちゃを使った作品が「金沢21世紀美術館」に展示されています。

某ファストフードのおまけのおもちゃ約3万個を使った「ハッピーパラダイズ」という作品で、11月までコレクション展に展示されています。おもしろいのは、2000年から今までに流通した子どもに人気のあるキャラクターを全部保存することになると同時に、作りすぎて余ってしまったものから作られているということです。

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作りすぎて余ってしまい、「かえっこ」によって集まってきたおもちゃで作った作品。その背景や状況に思いをはせるのも面白い
 

この「かえっこ」がきっかけで、2006年に「NPO法人プラスアーツ」が発足しました。教育、まちづくり、防災、福祉、環境、国際協力などの既存の分野に対して、アート的な発想やアーティストの持つ創造力を導入し、それらの課題を解決、活性化していく新しい可能性の追求です。子どもの遊びと防災を「かえっこ」する「防災プラスアーツ」は、神戸でやっている防災体操やバケツリレーをやるとポイントがもらえます。この活動は国際協力機構(JICA)と一緒にインドネシアやタイなどでも展開しています。

美術館も地域研究をする時代

現在、青森県十和田市が直営する十和田市現代美術館の館長をしています。美術館には学芸員という美術の専門家はいますが、本来は研究機関を持って地域研究をしないと、地域にふさわしい展覧会やプロジェクトは生み出せないのではないかと思います。さらに、地域財産をどうやって残していくのか、アーカイブの作り方も課題です。

大阪の国立民族学博物館は、博物館機能を備え研究者を抱えて大学院教育も担うユニークな研究所ですが、公立の美術館も地域研究をするような流れが必要だなと思っていた頃、秋田市が東北で唯一の公立美術大学を創り、そこにアーツ&ルーツ専攻ができました。これは面白いと、僕も関わっています。

これからの美術館は大学等と連携し、それを生かしたプロジェクトを目指していくのではないかと思います。昔は美術史の中の「美術」でしたが、近年は地域、民族という視点がクローズアップされるようになり、社会学や人類学と一緒にやっていく、エデュケーターの役割も必要になってくるだろうなという気がしています。

僕はこれまで、地域の中で活動をどう作っていこうか、ということをずっとやってきました。外国人など違う価値観の人も地域に入り込んでくる中で、より刺激的で面白い活動が、つながりの中から出来ていく仕組み、仕掛けをつくっていきたいと考えています。

【プロフィール】

藤 浩志(ふじ・ひろし)氏
藤浩志企画制作室代表、美術家十和田市現代美術館館長、秋田公立美術大学教授。
1960年、鹿児島県生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。青年海外協力隊員としてパプアニューギニア国立芸術学校勤務。都市計画事務所勤務を経て92年、藤浩志企画制作室を設立。 2006年バングラデシュビエンナーレ(グランプリ受賞)、 2010年瀬戸内国際芸術祭等の国際展の出品をはじめ、全国各地で地域資源・適正技術・協力関係をいかした活動の連鎖を促す美術類のデモンストレーションを実践。
現在、 NPO法人プラスアーツ副理事長。十和田市現代美術館長。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻教授。 http://geco.jp

 

青年海外協力協会広報紙「スプリングボード」161号掲載

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