ブルキナファソ選手、日本のプロ野球に挑む~選手育成にあたる出合祐太さん(平成19年度4次隊/ブルキナファソ/野球)(2013年2月1日掲載)

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かつての教え子たちと再会した出合さん(左)

「野球を続けたいなら、プロの世界を目指してみようよ」。青年海外協力隊の任期終了が迫っていたころ、出合さんは野球を教えていたブルキナファソの子どもたちにこんな提案をした。そして、「2年後に戻ってくる時まで、モチベーションを下げずに野球を続けていてほしい」と伝え、2010年3月にブルキナファソを離れた。

2012年11月、出合さんは約束を守り、再び任地に戻った。日本のプロ野球に挑む選手を選ぶためだ。この計画の裏には、支援に頼らず、自立的な発展で野球文化をこの国に根付かせたいという思いがあった。

高校時代、同郷の先輩がニカラグアで野球隊員として活動していることを知り、いつかは自分も応募してみたいと憧れていた青年海外協力隊。ようやく夢がかない、首都ワガドゥグにある、ブルキナファソ野球・ソフトボール連盟に派遣された。

活動への期待に胸をふくらませての着任だった。しかし、担当するチームの練習は週1回だけ、それにすら選手が集まらない――。そんな日々が半年続いた。 

最初は挫折を味わった

ブルキナファソは世界最貧国の一つに数えられる。人々の生活は貧しく、野球をする余裕は見られなかった。思い描いていた隊員活動とは大きく異なる現実に、「野球よりも、農業や教育分野など人々の生活に直接役立つ支援をする協力隊員のほうが必要とされているのではないか」と、自身が派遣されたことを無駄だと感じるようになっていた。

そんな考えが変わったきっかけは、下宿先の近所に住む11歳の男の子と知り合ったこと。「野球って何? 見せてみてよ」と言われ、出合さんは彼とキャッチボールをした。そして、野球の楽しさを知ったその子どもが、友だちを引き連れて出合さんのところに通ってくるようになった。子どもたちの数は徐々に増えていった。

野球に打ち込む彼らを見て、「この国で野球を広める人材になってほしい」と願ったが、子どもたちは、「進級のための勉強や家の手伝いもあるから、野球ばかりやっているわけにはいかないんだ」と言う。自身の思いを強く伝えることはできなかった。

そんな中、自分が子どもの頃、野球を通じて勉強などへのモチベーションを高めてきたことを思い出した。そこで出合さんは、野球という存在を子どもたちにとって大切なものにし、ひいては生きがいに高めることを目指して、その楽しさを伝えることに力を注いだ。


2010年には、国内で初めてとなる13歳以下の少年大会を開催

一方、任期中の2009年8月には、さまざまな人たちの協力を得て12人の選手を日本に招き、千葉県習志野市と出合さんの出身地、北海道富良野市で野球交流をした。この経験は、ブルキナファソの野球少年たちを大きく変えた。帰国後、子どもたちはグラウンド整備を進んで引き受けるようになったほか、練習開始時と終了時にはグラウンドに礼をするまでになった。彼らの姿を見て出合さんは、「自発的でなければ、人は成長しないんだ」と気づいたという。


日本から戻った後、子どもたちはグラウンドに「礼」をするようになった

同時に、せっかくこの国に根付き始めた野球を子どもたちが続けていけるようにするにはどうしたらよいだろうかと、策をめぐらせた。そこで出合さんは、ブルキナファソ人選手を日本のプロ野球界に送り込む「プロチャレンジ・プロジェクト」を子どもたちに提案した。プロ選手が誕生すれば、たくさんの野球少年がプロを目指して野球に打ち込み、この国に野球が根付いていくのではないか。任期の間、計画の実現に奔走した。

みんなの期待を背負って

2年ぶりのブルキナファソ。出合さんは日本からたくさんの野球用具がつまったトランクを携えてやってきた。子どもたちは、出合さんの帰国により2年以上コーチが不在の間でも自主練習を重ね、この日に備えてきた。


日本で寄付を募り、トランクいっぱいに野球用具を持ち込んだ。当サイトを通じて知り合った
中日ドラゴンズの通訳を務める野球隊員OBの桂川さんからは練習着などを、中日ドラ
ゴンズや選手からはボールやユニフォームなどをいただいたという

5日間の滞在中、適性テストを通じて、日本へ「野球修行」に送る選手を選んだ。適正テストに臨んだのは、選手約200人のうち、42人。遠投や50メートル走などのテストを経て、出合さんは、15歳のサンホ・ラシィナ君を選んだ。


テストを経て選ばれたラシィナ君(右)と出合さん。自身が背負う期待を
重圧と感じるのか、表情がこわばっていた

「日本のプロ野球で通用するほどの技量はなかったけれど、彼はどうすれば自分がなりたい選手になれるかを考えて行動し、さらなる成長の可能性があった」

2013年夏、ラシィナ君は四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに研修生として入団する予定だ。こうして、出合さんが構想してきた、「プロチャレンジ・プロジェクト」のコマが一つ進んだ。「日本から支援はできるけれど、発展させるのは、現地の人々」。そう考え、出合さんは物資の支援ではなく、あえて人々の成長につなげる支援を選んだ。

教え子の一人は、再会した出合さんに、「野球を知って、新しいことに挑戦することが面白くなった。学校でも、勉強で新しいことに取り組むのが楽しい。挑戦するっていいね」と話してくれたという。

ラシィナ君の活躍は、ブルキナファソの野球界にどんな変化をもたらすだろうか。彼と出合さんの新たな挑戦を、温かく応援したい。

関連リンク

ブルキナファソ野球を応援する会

 

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