【鹿児島県】地域おこしにつながる果樹を研究―深澤元紀さん(平成15年度2次隊/セネガル/果樹栽培、神奈川県出身)[2012年6月1日掲載]

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セネガル隊員時代の深澤さん(左)。
島に派遣され、木船で島の外に移動していた

幼いころから自然に慣れ親しんでいた経験から、農業に進路を定めた深澤さん。「早いうちに海外に出て、経験を積みたい」と考えていたことから、卒業後は青年海外協力隊・果樹栽培隊員として、セネガルで活動した。

現在は鹿児島県にある母校・玉川大学の熱帯植物開発施設で技術指導員を務め、農場の管理、学生の実習指導に当たり、鹿児島の地域おこしにつながる果樹の栽培研究に当たっている。

 

熱帯果樹の試験栽培

薩摩半島の南西に位置する坊津(ぼうのつ)町。豊かな自然が広がるこの地にある玉川大学熱帯植物機能開発施設は、学外の研究施設として機能するだけでなく、冬でも温暖な気候を利用し、マンゴーやレイシ(ライチ)、パッションフルーツなどの熱帯や亜熱帯果樹の試験栽培を行っている。

この施設はもともと柑橘園で、インド原産のミカンの一種、ポンカンが県内で初めて栽培された地と言われている。その伝統を受け継ぎ、現在もポンカンのほか、50種前後の柑橘類がこの施設で栽培されている。

過去に台風の被害が多かったため、鹿児島県では農業よりも畜産業が盛んで、これまで果樹の栽培はあまり行われていなかった。しかし近年、台風の被害が過去よりも減っており、果樹の栽培が可能になりつつある。

そこで施設では、暖房を使わず、また、化学農薬を使わずに生物農薬(昆虫に害虫を食べさせ、植物への被害を軽減する方法)を用い、環境への負荷が少ないマンゴーの温室栽培試験が進められている。

「たとえば、暖房を用いてマンゴーを温室栽培すると、燃料費が高くつくため、販売価格が1個数千円と高価になる。そこで、暖房や化学農薬を使用しないことで、生産コストを抑え、マンゴーがもう少し手頃な価格になればと、栽培の研究を進めています」と深澤さんは話す。

このほか施設では、レイシ(ライチ)を試験栽培している。中国南部や台湾での栽培がよく知られている果物だが、近年では沖縄など国内でも栽培されている。施設周辺はレイシの露地栽培の北限とされていることから、この地での栽培に適した品種を見つけ、露地栽培を広げるための研究栽培が進められている。

研究栽培から露地栽培への移行は、数種類の品種を研究栽培し、その土地にあった品種の選定や栽培方法などを見極める必要があり、10年前後の試験栽培期間が必要となる。現在は露地栽培に向けた試験栽培が、根気強く続けられている。将来露地栽培が始まれば、地域の観光資源となり、レイシによる地域おこしの可能性も秘めている。

このほか深澤さんは、鹿児島大学の教員と共に、ヤムイモの栽培を研究。鹿児島での産業化を視野に入れ、そして栽培技術を途上国に伝えようと、現在、研究が進められているという。

自然への興味から農業の道へ

深澤さんが育ったのは、横浜市中区。神奈川県庁が置かれ、県内で最もにぎわうエリアで都会といえる地域だったが、子どもの頃から親に連れられて海や山に行き、自然に親しむ中で、自然と深く関わる仕事をしたいと思い、農業の道に進んだ。

そして大学時代は熱帯果樹を学んだ。担当の先生から「熱帯の果樹は種類が多く、形も果物の味もさまざまで、おもしろい。ぜひ、自分の目で見てみるといい」と聞かされる中、早いうちに海外に出て、経験を積みたいと考えていた。その中で、協力隊員として活動した先輩たちの話にも大きな影響を受けた。

大学卒業後、青年海外協力隊に加わり、セネガルに派遣された。任地はマングローブに囲まれた入り江にある島々で、人々は漁業のかたわら果樹栽培を営んでいた。深澤さんは船で島々を回り、講習会を開いて果樹の収穫を高めるための接ぎ木技術を人々に伝えた。

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接ぎ木セミナーで実演をする深澤さん(中央)

接ぎ木をすることで、ほとんどの果樹はよい果実をつけるようになり、さらに、より多くの実をつけるようになる。任地では前任の協力隊員により、すでにこの技術が伝えられていたが、深澤さんは定着に向けて活動した。

しかしながら、活動地の主な産業は漁業であり、果樹栽培は副業のようなもの。人々の熱意をあまり感じられないことから、不満を感じることもあった。だが、村で生活をする中で、学ぶことは少なくなかった。「家畜の屠殺(とさつ)を自分の目で見たことで、どうやって肉が食べ物として作られるかを知ることができたこと」と、深澤さんは話す。「肉を食べるために動物を殺すのはかわいそう、という考え方は、自分勝手だと感じた」

この経験は、深澤さんの現在の活動に大きな影響を与えている。

耕作放棄地が生む弊害

日本に帰国した後、ポストに空きが出たことから、この施設で技術指導員を務めることになった。豊かな自然の中に位置するこの施設周辺にはイノシシが多く出没し、農作物が食害を受けることも少なくない。

過疎・高齢化が進んで農業を営む人が減り、増えた耕作放棄地がイノシシの住処となり、農地を荒らすようになってきた。イノシシを駆除する猟師も減少した。農作物の被害を減らす策として、人間と動物との軋轢を減らす方法として、深澤さんは狩猟でイノシシを駆除する方法を選んだ。

「野生動物から農作物を守るために農場をフェンスで覆うような意見も出されたが、それでは人間がオリの中で生活しているよう。それならば、害獣となるイノシシなどを駆除しつつつも、駆除した動物の命が無駄にならないようおいしく食すれば、厄介物の害獣が感謝できる存在となる。こう考えられるようになったのも、協力隊経験があったからではないかと考えています」

時には、施設で研究する学生が食育を学ぶ場として、獲物を一緒に解体し、命や食のありがたさを学ぶ機会を作っているという。

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猟師から生きた状態の鹿を譲り受け、学生が農業と野生動物との
かかわりや、動物が「肉」になる過程を学ぶために、鹿を屠殺し解体の実習を行なった

深澤さんにとって、協力隊は自身の専門性を磨く場となっただけでなく、派遣国での経験から、食べ物の大切さを学ぶ場となった。

「今後は、地域おこしにつながる果樹の栽培研究を続けるだけでなく、食育を多くの人に学んでもらう機会も作っていきたい」。食べることは、命をいただくこと。果樹栽培と狩猟という、一見大きく異なるこの二つのことが、深澤さんの協力隊経験を通じて、鹿児島の地で実践されている。

 

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