看護の追究という「新しいチャレンジ」に挑み続けたい-医療功労賞を受賞した、清水直美さん(昭和59年度1次隊/看護師/ネパール)[2012年4月16日掲載]

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インドネシアで活動中の清水さん(右)

看護師として病院に勤務する中で抱いた、「ほかの国の医療、看護の状況を見てみたい」という思い――。青年海外協力隊としてネパールで活動した後、清水直美さんの国際協力への意欲はますます強まった。

気がつけばそれから20年余り。ネパールのほか、ツバル、ブラジル、ヨルダン、パレスチナ、ラオス、インドネシアと7か国での看護や保健医療分野の国際協力活動が評価され、2012年年3月、第40回医療功労賞(主催=読売新聞社)海外部門の表彰者の一人に選ばれた。

志のある看護師を育成するために

国際協力に興味を持ったきっかけは、勤務していた大学病院での、マレーシア人看護研修生との出会いだった。看護師になってから数年がたち、命の尊厳や、本当に求められている看護とは何か、といったことに興味を抱き、文化や習慣の異なる海外の看護の現場を見てみたいと思うようになった。

そして1984年、青年海外協力隊としてネパールに派遣され、王立トリブバン大学医学部付属教育病院(現在は国立)で、ネパールに初めてできた集中治療室(ICU)、重症集中治療室(CCU)で働く看護師の能力強化や育成に携わった。

初めての異国での活動に苦労があるのは当然だったが、ネパールでの看護活動はカースト制に縛られるところも多く、一筋縄ではいかない。例えば、患者の栄養状態を改善するために病院食を提案しても、高いカーストに属する人は下位カーストの人が作ったものを口にせず、ベジタリアン(菜食主義)の人も多いため、実現に至らなかった。また、業務の内容にもカースト制が大きく影響しており、トイレ掃除や霊安室での作業は低カーストに属する人の仕事であり、看護師が排泄の介助に携わることはなかった(注)。それでも、排泄行動や介助、排泄物の観察が、患者理解には必要不可欠である事を説明していくことで、看護師たちの看護行動に変化が見られ、カーストを考慮しながらも適切な看護をするようになったという。

(注)当時、ネパールの女子就学率は著しく低く、基礎教育を終え、その後看護学校に進学できるのは、ある程度の経済力と両親の理解の下に育った、中より上のカーストに属した人だった。

途上国の看護師と共に課題に取り組みたい

協力隊を終えた1年後、再びネパールで2年間、JICAの結核プロジェクトの専門家として活動した。また国内では、国際協力団体の研修コーディネーターとして、東南アジアからの専門看護研修や災害看護研修にも携わってきた。

だが、研修業務を続けるうち、途上国の看護師が抱える課題に彼らと現場で一緒に取り組んでいきたいと考えるようになった。そして、再び現場に戻ることを決意した頃、シニア海外ボランティアの要請があり早速応募、1998年、再びネパールに赴いた。

着任したのは、協力隊時代に活動した病院。離任してから12年が過ぎていたが、病院は建物も機材も想像していたよりも良い状態で維持され、歴代の看護師隊員の貢献が実を結び、優秀な看護師が育っていた。

シニア海外ボランティアとしての任務は、看護部の組織運営と看護管理業務の強化だった。途上国の病院では看護部が十分な組織力を持たないために、病院や医師の指示に振り回される傾向にある。

清水さんは、看護部の組織づくりに始まり、管理業務を整備してマネジメントにかかわる管理職を育成し、病院でよりよい看護サービスが提供されるための体制強化に携わった。協力隊員時代の同僚は幹部になっており、清水さんの活動の追い風になった。

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ネパールの看護師たちと

シニア海外ボランティアとしてネパールでの任期を終えた後は、タイの大学でプライマリーヘルスについて学んだ。その後もJICAの専門家など海外で活動し、帰国時には、学会や研修会に参加し、同業の知人、友人から資料や教材の情報を得たり、時には直接病院を見学させてもらったりと、常に知識の向上に励んでいる。
ネパールで活動後は、ラオス、インドネシアでもシニア海外ボランティアとして、病院の看護マネジメントの強化に取り組んだ。

今年9月からは、4度目のシニア海外ボランティアとしてカンボジアに派遣される予定だ。「新しい国で、新しい言語を学び、現地の方々と看護を追究することは、とても勉強になる。新しい挑戦を続けることで、充実したクリエイティブな時間を過ごせる」と話す清水さん。

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ラオスでシニア海外ボランティアとして活動を終えた時、同僚の看護師が開いてくれた送別会で

「可能な限り、そして求められるなら海外で活動していきたい」と意欲を見せる。

「経験を積めば積むほど、自分の中にたくさんの『引き出し』がつくられ、その使い方次第で、相手の希望に沿えるようになるかもしれない」と、常に自己研鑽を怠らない。今後は、「看護の国際協力での経験と研鑽をもっと積み、将来は、後に続く若い看護師を後方支援し、国際看護師を育てるような活動に取り組みたい」と考えている。

ネパールでの不思議な縁

思い出に残るエピソードはたくさんある。ネパールでの協力隊員時代、下宿した家の門の横にある物置に、若い夫婦が1歳の男の子と住んでいた。子どもが病気になるたびに、夫婦は清水さんのところに治療費を借りに来たが、何か月かけてもそのお金をきちんと返した。お金を返さない、返せないネパール人が多い中で、信用を裏切らない夫婦だった。

その後、専門家やシニア海外ボランティアでネパールに赴任した時、いつもその夫婦が清水さんを捜し当て、訪ねてきた。息子の成長を見せるために。昨年は、インターネット上で清水さんを捜し当てた母親が、当時の写真と共に「息子が今元気なのはあなたのおかげ。だから、成長した息子の姿を見せたい」という内容の電子メールを送ってきたという。「人の縁の不思議さには、いつも驚かされる」と清水さんは言う。

日本では助かる病気でも、命が失われてしまうことが多い途上国で、足かけ12年にわたる活動をしてきた清水さん。その貢献により、救われた命は数多いはずだ。この母親の言葉は、清水さんの活動により命が救われた人たちの気持ちを代弁するものなのかもしれない。

 

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