ニカラグア、野球隊員、そして今-中日ドラゴンズで外国人選手の通訳を務める桂川昇さん(平成5年度2次隊/ニカラグア/野球)[2012年3月15日掲載]

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ドミニカ共和国出身のソーサ選手(左)と
ネルソン選手(右)に囲まれる桂川さん

青年海外協力隊に参加後、人生が大きく変わった帰国隊員は少なくない。桂川昇さんもそんな一人だ。

野球隊員としてニカラグアで活動後、縁あって社会人野球チームに入団したキューバ人選手の通訳を務めることになった。そして現在は、中日ドラゴンズで外国人選手の通訳を務めている。

 

リナレス選手を担当した日々

アマチュア野球の最高峰のオリンピックで2度優勝し、キューバの至宝として世界から注目されたオマール・リナレス選手が在団2年目の2003年に、桂川さんは中日ドラゴンズに担当通訳として加わった。

試合はもちろんのこと、トレーニングや日常の買い物まで、1日のほとんどをリナレス選手と過ごした。当時、リナレス選手は体重が増加傾向にあったが、桂川さんと一緒に食事管理をしたことで減量に成功。中日ドラゴンズでの最後の年には日本シリーズで活躍し、一緒にヒーローインタビューに出られたことは、桂川さんのよい思い出になっている。

大学の体育学部を卒業後資格を取得し、健康運動指導士として健康づくりトレーナーを約3年半務めた桂川さん。仕事を続ける中、指導する立場として人間性に深みをつけるために、機会があれば自分の力を試してみたいと考えていたという。

子どもの頃から野球とスキーに親しんでいたが、スイスのツェルマットにスキー旅行に出かけた際、現地でスキーガイドにならないかという誘いを受けた。気持ちが固まりかけていたが、結局その話は流れてしまう。行きたかった気持ちから、葛藤に悩んでいた頃、協力隊のポスターを見かけた。「どこでもいいから、海外で自分の力を試してみたい」――さっそく要請を探すと、自分でもできそうな野球隊員を見つけ、応募。そしてニカラグアに派遣されることになった。

協力隊員として首都マナグアにあるスポーツ庁傘下のニカラグア野球連盟に配属され、すでに活動していた先輩隊員と協力して、成人チームの技術指導に当たった。最初の年、野球のシーズンが終わると、チームの練習がなくなり、時間に余裕ができた。

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腕の不自由なハビエル君も、一生懸命練習に来ていた

今でこそサッカー人気に押され気味だが、当時のニカラグアで、野球は国民的スポーツ。道具がない中、路上で子どもたちがまるめた靴下をボールに、木の棒をバットにして、野球ごっこをして遊ぶ姿を目にした。

ちょうどその頃、少年野球の世界大会が翌年日本で開かれること聞いていた桂川さんは大会参加を目指して、少年野球チームをつくろうと思い立つ。 腕の不自由なハビエル君も、一生懸命練習に来ていた
世界大会で使われるのは「ロー・バウンド・ボール」と呼ばれる、硬式球に似ているが、ゴムから作られているため弾力性があり、ケガの心配が少ない球だ。

雨に強く耐久性も高く、野球用具が簡単に手に入らないニカラグアでも長く使えるボールだった。さっそく子どもたちを集め、練習を始めた。環境を整えて練習を重ね、配属先のカウン ターパート(共働相手)であるソトさんが結成した子どもチームと対抗戦をすると、周囲から注目が集まり始めた。そして少しずつチームが増え、4チームで一 つのリーグができ、リーグ数が増えたところでニカラグアで初めての少年野球の全国大会を開催した。

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子どもの野球大会の閉会式で(左端が桂川さん)

エネルギーをくれた子どもたち

そして全国大会で活躍した選手を選抜し、1995年に日本で開かれた少年野球世界大会にニカラグアチームを率いて来日した。チームは、監督・コーチを含めて総勢15名だったが、支給された補助金では渡航費用が足りず、桂川さんはニカラグアの企業100社ほどを回って募金を集めたものの、十分な額が集まらなかった。それを知った故郷、岐阜県の「協力隊を育てる会」の協力を得ることができ、ようやく十分な渡航資金が集まり、来日を果たした。

大会に参加後、支援者に感謝の気持ちを伝えようと岐阜に立ち寄った。そして、地元の少年野球チームと交流試合をしたほか、ホームステイを通じて、人々と交流を深めた。「子どもたちは得難い経験ができたようだった」と桂川さんは当時を思い返す。別れ際、ニカラグアの子どもたちがホームステイ先のお母さんたちと抱き合って別れを惜しんでいた様子が今も印象に残っているという。

「ニカラグアの子どもたちはとても元気で、自分が何かを教えるというよりも、子どもたちから逆にエネルギーをもらった感じ」。当時野球を教えた子どもたちは、現在、30歳を過ぎたころ。数人がニカラグアのリーグで選手として活躍するほか、アメリカの大リーグに挑戦した教え子もいるという。

そして現在、歴代隊員の活動が実を結び、軟式野球はニカラグア少年野球の正式種目として認められている。

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子どもたちとの準備体操

ニカラグアでの出会いから実業団チームの通訳に

帰国後、野球選手の通訳になったきっかけは、隊員時代にニカラグアで社会人野球の世界大会が開かれた時の出会い。ニカラグアを訪れた日本チームに手伝いを申し出たところ、チームの通訳を務めることになった。そして帰国後、その縁で岐阜県にある企業「昭和コンクリート」の野球部に入団したキューバ人選手の通訳を依頼された。その3年後にシダックスに移り、現在に至る。

スペイン語は協力隊員時代にマスターしたが、帰国後も語学学校の講座などで勉強を続けた。「ヒーローインタビューの通訳時、汗をかきながらやっていることもある。スペイン語のうまい人から見れば、自分のレベルはまだまだかもしれない。けれども、協力隊での経験から、異国で生活する外国人選手の気持ちを理解することができる」。通訳だけでなく、外国人選手の生活全体のサポートを自身の仕事として捉えているという。

隊員時代、現地の人々の暮らしを体験したいと、当時カウンターパートだったソトさんの家にホームステイをしていた。トタン屋根で、電気も水道もない家で、シャワーはバケツに汲んだ水を浴びるだけ。だが、ここでの生活を通じてソトさんとの絆が深まり、現在も連絡を取り合う仲だ。現地の人々の生活に飛び込んだ経験があるからこそ、日本で活動する外国人選手の気持ちを深く理解できるのだろう。


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(左から)ブランコ選手、ネルソン選手、ソーサ選手と共に

中日ドラゴンズは昨年、リーグ戦2連覇の快挙を達成。辰年の今年は3連覇を目指し、3月30日、ナゴヤドームでのオープン戦に臨む。昨年活躍したトニ・ブランコ選手や、今年テスト生として入団した外国人選手の活躍にも期待がかかる。

「テスト生のホルヘ・ソーサ選手(ドミニカ共和国出身)は大リーグで9年間活躍したベテラン選手。バッターのビクトル・ディアス選手(ドミニカ共和国出身)も大リーグで24本のホームランを打った選手で、彼らがチームの戦力になれれば楽しみだと思う」 「協力隊では自分自身を育てるチャンスをもらうことができた。若者を育て、その後の活躍へのステップを築く、意義のある事業だと思う」。ニカラグアでの経験を基に、野球選手通訳という職業で実力をつけてきた桂川さん。協力隊での経験は今、人生の大きな財産となっている。

リンク

▽中日ドラゴンズ
http://dragons.jp

 

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