【ブルガリア】日本語を学ぶ「心」を文化の架け橋に-小島真美さん(平成16年度1次隊/日本語教師)[2011年9月1日掲載]

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小島さん(中央)。配属先の校長(左)、
副校長(兼日本語学科長)と

日本語教師隊員として、ブルガリアで活動した小島真美さん。隊員任期終了後もブルガリアとの縁は続き、外務省事業(JOCAが実施)「日本文化発信プログラム」のボランティア(Japan Culture Advance Team;通称J-CAT)として、2009年1月から同国で再び2年間活動した。 2011年4月からはそのフォローアップとして3か月間、JOCAのボランティアとして派遣され、9月からは現地校の日本語教師として、ブルガリアで新たなキャリアのスタートを切る。

一生続けられる仕事を見つけたい

小島さんは大学卒業後、レコード会社に就職。しかしある時、仕事の壁にぶつかった。「この仕事を続けても、10年後の自分の姿を思い描けない」。一生続けたい仕事を見つけなければ、と感じたきっかけだった。

その後転職した職場で、日本語でうまくコミュニケーションができず、孤立しがちな在日外国人に出会った。言葉の重要さに改めて気付いた。「日本語教師になって、彼らの悩みを少しでも解決できたら――」。そして、日本語教師を目指し、仕事を続けながら教師養成学校に通う日々が始まった。

青年海外協力隊を知ったのは、養成学校の卒業が近づいた頃だった。エジプトに隊員として派遣された卒業生の体験談を聞いた。「世界には日本語を学びたい人がたくさんいるんだ」。早速、情報を取り寄せ、募集前の最終説明会に滑り込んだ。そして受験。合格の切符を手に入れた。

実力の限界を感じた隊員時代

2006年7月、首都ソフィアにある「ソフィア第18総合学校」(注1)に着任した。この学校には、1993年から2年交代で常に2人の日本語教師隊員が派遣されていた。皆が温かく迎え入れてくれ、環境で苦労することはなかった。

だが、何をすればよいかが分かってきた頃、自分の力のなさを思い知った。任期を終えた時「派遣前に日本語教師としての経験があれば、もっと成果を挙げられたかもしれない」と感じた。帰途に就いてからも、自分の無力を責める気持ちが心の中でぐるぐると回っていた。飛行機が日本の空港に着陸しようとする瞬間、母国語が日本語であることはとても恵まれた境遇ではないか、と、ふと気づいた。日本語を学びたいという人は、世界各国にいるからだ。そして日本語教師を志した頃の初心に立ち返り、これからは日本で外国人に日本語を教えてみようと思いを新たにし、飛行機を降りた。

その後2年間、母校で留学生に日本語を教えた。仕事に自信がつき始め、隊員任期を終えた時の無力感はいつのまにか消えていた。

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日曜講座の書道教室

隊員だった知人を通じて、日本文化発信プログラムの話を聞いたのはその頃だった。青年海外協力隊の派遣が終了したハンガリー、ポーランド、ブルガリア、ルーマニアの4か国(注2)で2年間日本語を教えながら、日本文化を発信するボランティア(J-CAT)を募集するという。最初は迷ったが、「隊員時代にやり残したことに挑戦したい」という気持ちがわいて応募し、無事合格した。そして、2009年1月、4か国に派遣された26人のボランティアの1人として (注3)、再びブルガリアの土を踏んだ。

派遣先は隊員時代と同じ、ソフィア第18総合学校。懐かしい人々が温かく歓迎してくれ、日本で得た経験と自信により、隊員時代よりも充実した活動をすることができた。

(注1)ブルガリアの教育制度は、初等教育(小学校課程)が4年、中等教育が8年(中学校課程3年、高校課程5年)となっており、初・中・高等学校が一括された「総合学校」のほか、初等・中等教育、あるいは高等教育のみの「部門別学校」、日本の高等専門学校に当たる「特殊学校」などがある。
(注2)欧州連合(EU)加盟により、これら4か国へのODA事業が終了し、青年海外協力隊派遣も2008年度をもって終了した。
(注3)日本文化発信プログラムでは、ハンガリー7人、ポーランド6人、ブルガリア7人、ルーマニア6人のボランティアが派遣された。

二つの国の絆を深める

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指導に当たった日本語弁論大会参加者と

ブルガリアには華道や茶道などの伝統文化や日本の武道、現代のアニメやマンガ、果てはアニメなどのキャラクターに扮した仮装の「コスプレ」を楽しむグループまであるほど日本文化のファンが多い。J-CATでは、日本語を教えるほかに、日本の文化を幅広く発信することが求められた。ブルガリアで活動する7人のボランティアの活動を通じ、将棋や書道をたしなむブルガリア人が着実に増えていった。

「日本文化発信プログラム」の制度は、受け入れ国側で大変好評だったが、2010年度に惜しまれつつ終了した。ソフィア第18総合学校は日本語教育の水準を保てるよう、新たにネイティブの日本語教師を採用することを決定。手を挙げた小島さんがそのポジションに採用された。

ブルガリアに拠点を置く日系企業はまだ非常に少なく、日本語を習得しても、受験や就職で有利になるわけではない。また近年は、中国語や韓国語などを学ぶ人も増えている。しかし日本文化は多くの人々に愛され、教育機関や市民講座などで日本語を学習する人が近年急増し、根強い人気がある。

その理由はどんなところにあるのか。「『日本から来た』と言うと、『あの国は素晴らしい』と言われることが何度もあった」と小島さんは話す。第二次世界大戦後、短期間での復興を成し遂げた日本は「奇跡の国」と呼ばれ、ブルガリアの人々の憧れになっているという。
そう考えているのは一般の人々だけではない。日本語クラスの設置は各学校長の判断に委ねられているが、生徒たちが日本語を学ぶことで、日本文化の根底にある礼儀や考え方など行動様式を学んでほしいと日本語クラスを設置する学校長もいるという。

現在、ブルガリアでは、教育機関や市民講座などで約1,800人が日本語を学習している(2009年、国際交流基金の調査による)。中でも、ヨーロッパの中等教育機関として初めて日本語教育を取り入れたソフィア第18総合学校には、日本の草の根文化無償協力で建設された「日本ブルガリア教育文化センター」が2007年に完成し、活用されている。9月から、小島さんはこの学校で初等・中等部門と公開講座を合わせ、約500人の生徒に日本語を教える予定だ。

「日本ではブルガリアについてあまり知られていないが、ブルガリアという国を知ることのメリットを、日本でも発信していくべき」と小島さんは強調する。日本語学習熱がいっそう高まっているブルガリア。今後は、日本からの投資や企業進出なども期待されている。次は、日本にいる私たちが、この国への理解を深める番だ。ボランティアの貢献により深まった絆を、いっそう強いものにしていくために。

※ ブルガリアへのボランティア派遣は1993年に始まり、2009年3月に終了するまで、延べ243人の青年海外協力隊員、2人のシニア海外ボランティアが日本語教師、コンピュータ技術、養護、デザイン、考古学などの職種で派遣された。

 

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