【宮城県】大島のスナフキン~気仙沼沖の大島でボランティア活動をする協力隊OBの物語~ 細川光宜さん(平成8年度2次隊/パプアニューギニア/木工)[2011年8月1日掲載]

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細川光宜さん(平成8年度2次隊/パプアニューギニア/木工)は2011年6月から青年海外協力隊 広島OB会の代表として大島に入り、中国・四国地方から集まった約20名の協力隊経験者のボランティアと共に被災地で支援活動を続けている。今や島民になりきってボランティアのリーダーとして精力的に活動している。

手作りの復興

大島の公民館に災害対策本部、ボランティアセンターなどの機能が集結している。NPOや他県自治体の支援も入っているが、復興活動の中心は地元住民。

その名も「おバカ隊」。津波で養殖施設を失った漁師が中心になり、ボランティア活動にあたる。 

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ボランティアを取りまとめる細川さん

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メンバーとの打ち合わせ

島の男たち

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「おバカ隊」。いつもバカなことばかり言いながらボランティアを和ませてくれる。養殖設備を失った漁師や、非番の消防士など仮設住宅に暮らす地元民がメンバーだ。各地から寄せられた軽トラやスーパーカブで島を疾走し、いざ活動となると腕っぷしの強い頼れる男たち。

大島のボランティア活動が他の地域と異なるのは、中心に地元住民がいるということ。

3・11の夜、火の海になった気仙沼で現場指揮を執った消防士の話

「不眠不休で活動にあたり、自身の家族の安否を確認したのは数日後。普段なら道路に延ばせるホースも、この時は屋根伝いに繋げるしかなく、作業がはかどらなかった。そして、数名の部下が殉職。これまで感じたことのない無力感を感じた。

南三陸の消防署では、消防士3名がモニターで津波を監視していたところ、モニター画面がブツッブツッとひとつずつ消えていった。「これはまずい」と思った時には目の前に津波が迫っていた。3人の署員はすぐに机の上に上がった。そして、一瞬3人の目があったのを最後に、消防署は津波にのまれた。ひとりの署員は30キロ流され、奇跡的に救出されたが、他の2名は殉職した」

大島国民休暇村 料理長の話

「発災害後から約80日間避難所を中心に食事作りにあたった。その間、一度として同じメニューを出したことがない。引退後実家の仙台に戻る計画だったが、一生大島に残ろうと決意した。これから、住民の雇用創出のために弁当屋を開こうかと検討中」

ボランティア天国

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深々と頭を下げるおバカ隊

ボランティアにとってこんなに恵まれた活動場所はないと、細川さんは言う。島の美しさ、島民の温かさが溢れている。そして、また島に戻ってきてもらうために「ひとつでも多くの瓦礫を運んでもらうより、いかにボランティアに満足して帰ってもらうか」を考え、活動している細川さん。

半日活動だけのボランティアでも、帰るときには、必ずおバカ隊、細川さん、残るボランティアが港で見送る。

ボランティアも感極まり船が見えなくなるまでお互い手を振り続ける。筆者が帰るとき、細川さんに「必要な支援は何ですか」と尋ねると、「お金も物資も要りません。隊員OBなら一度は活動に来てくださいと伝えてください」

細川さんは、2011年11月8日まで活動予定。

関連リンク

気仙沼大島災対本部のオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/kesennumaoshima-saitai/ 

 

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