中国の砂漠化を食い止める(坂本 毅さん)

隊員時代 ~坂本さんより~

写真:坂本 毅さん

私は青年海外協力隊隊員として1991年7月から3年間、中国内モンゴル自治区オルドスモンゴル族高級中学で日本語を教えました。

派遣前、モンゴル族というとジンギスカン、騎馬民族の荒々しいイメージがありました。モンゴル族のしかも悪戯盛りの高校生に小柄で童顔の私が果たして教師としてやっていけるのか、生徒にいじめられないだろうか、不安で一杯でした。

しかし初めての授業で、私の印象は180度変わりました。生徒たちの生き生きとした目、学校中に轟く「あいうえお」のコーラス。しかし一人ずつ当ててみると真っ赤になって蚊の鳴くような声しか出ない。「まじめで素直ではにかみ屋」、私はそんなモンゴル族の生徒がいっぺんに好きになりました。

生活面ではかなり苦労しました。私の部屋にはトイレやシャワーはもちろん水道さえありません。近くの水場まで水を汲みに行くのが毎朝の日課でした。トイレは公衆トイレ、風呂に入りたければ、自転車で15分かかる銭湯に行っていました。マイナス20度以下になる冬のトイレや銭湯は辛かったです。しかし生活についてはすぐに慣れました。

当時一番辛かったのは周りの人がなぜ私がオルドスで日本語を教えているのかを理解してくれなかったことです。当時、任地の人はボランティアという概念が理解できなかったようです。「モンゴル語を勉強しに来た日本の若者?」或いは「日本で何か悪いことをして日本から逃げてきた日本人?」或いは「下放されたかわいそうな日本人?」など、いろんなうわさが飛び交っていたようです。

写真:モンゴルの親子

私の誕生日の時も、生徒たちからもらったプレゼントはケーキや花束ではなく、今では使われなくなった食糧配給券「糧票」でした。しかも生徒全員が自分たちの使う分を「かわいそうな日本の先生」のために少しずつ出し合ってくれたということを聞き、別の意味で涙が出てきました。

いろいろ問題は抱えながらも、素朴な生徒たちに囲まれ楽しく活動を進めました。そして、オルドスの人たちとの交流も徐々に深まってくると、オルドスが抱える深刻な問題、「砂漠化」のことについても深く考えるようになりました。実際、生徒たちから聞いた数々の砂漠化の話にはすさまじいものがありました。砂丘に家を呑み込まれて、移転を余儀なくされた者もいました。どうやったらこの砂漠化を食い止めることができるのか、ずっと考えてきました。高校1年から教え始めた生徒たちを卒業まで見届けたい。そんな思いで1年延長。あっという間に時は流れ帰国。楽しい思い出をたくさん作りつつ、重い宿題を背負ったような気がしました。

帰国後、そして今 ~坂本さんより~

写真:オルドスでの同窓会

それから9年経った2003年夏。オルドスで同窓会が開かれ、たまたま僕も参加することになりました。

私が教えていた生徒たちはいつの間にか立派な大人になっていました。オルドスで教師になったり、医者になったり、弁護士になったり、村長さんになった人もいます。みんなオルドスでがんばっています。

「これから自分のできること、それはオルドスと日本を結ぶこと」その時ふと、そう確信したのです。

そして私は去年、個人事業を立ち上げました。内モンゴルの岩塩や重曹などの天然素材を砂漠緑化商品として販売し、売上げの一部をオルドスの砂漠緑化に役立てるという事業を。またまた派遣されたオルドスという地域。そこでの「縁」を活かしてオルドスの「緑」を広げていけたらいいなと思っています。

そして緑化事業を通じて新しい「縁」が広がっていくことを楽しみにしています。この物語はこれからもずっと続いていきます。

詳細はホームページに載せていますので、是非一度ご覧ください。
(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ordos-banben)

 


何年かぶりに中国という共通のつながりのある坂本さんと再会できたことも、「縁」だなあと思いました。坂本さんのますますのご活躍と、オルドスの「緑」と「縁」が広がっていきますようお祈りしております。

(文責:寺西)
(JOCA近畿支部の機関誌『JOCAネットワーク近畿 VOL.98 2006.3』に掲載されました)

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