夢は臨床心理士(古賀 誠司さん)

進路を変えた高校時代の恩師

写真:古賀 誠司さん

古賀さんは、小さい時から機械や電気に興味があり、ラジオの組み立てや修理等の勉強を始め、将来は無線の上級資格を取り、資格を生かして航空局に勤めることを夢見て無線関係の技術を勉強されていたそうです。

ところが、高校二年生の朝礼で、専門家でトルコに赴かれたという先生の紹介を聞き、全ては一変。「なんてかっこいいんだろう。よし、将来はアフリカにいって送電線を建設するんだ《と思ったとか。それからは協力隊へ参加できる技術をつけるため専門学校へと進路を変更したそうです。

専門学校卒業後、すぐに協力隊に参加しようと考えていた古賀さんですが、JOCV進路相談カウンセラーの「現場で経験をつんでから行った方が良いよ《とのアドバイスを受け就職されます。

就職後も協力隊が忘れられず

就職後は設備保全を行う部署に配属されたそうですが、協力隊の事が頭から離れず、担当業務以外の技術も手当たり次第に勉強されたそうです。そして23歳の時に協力隊の願書を初めて提出されますが、諸般の事情により試験を受けることができなかったとか。けれど、27歳の春、いても立ってもいられなくなった古賀さんは試験を受け合格されます。

退職し、参加するつもりだったそうですが、すんなり事は運ばず辞表を3回出した末、退職予定日の2週間前に上司から「休職させることになったから、すぐに必要な手続きをするように《と言われ休職参加することになったそうです。

協力隊に参加

写真:活動の様子

古賀さんはボリビア共和国の発電所に配属され、発電設備のメンテナンスを担当、依頼があれば他の発電所のメンテナンスもこなし、また、後で赴任してきた電気工事隊員と現地スタッフ二人の合計4吊で電気が来ていない村に行って発電機を整備して電灯を点けたりもしたとか。その他、病院の医療機械のメンテナンスや技術訓練校の先生に対して講義を行う等、出来る限りのことを行った充実した隊員活動だったそうです。

 

帰国後、放送大学と出会って

帰国後、復職された古賀さんは半年後に大阪に転勤になり、大阪府OB会にも参加されていました。

そして、34歳の時に放送大学と初めて出会います。「なに、通信制の大学?入学試験が無い?おー素晴らしい大学だ。これなら僕でも行けるぞ《と、以前から勉強したいと思っていた心理学を専攻する為に早速入学の手続きをされます。それまで劣等感が強く、何か始める時には、かなり引け目を感じていたという古賀さん、でも今はやっと自信がつき「何でもかかってこい。俺に出来ないのは結婚位のものだ《とか。

しかし、当時の放送大学は関東地区でしか全科履修生を募集しておらず、仕方なく専科等履修生として勉強を始めたそうです。
 

故郷、鹿児島で臨床心理士を目指して

写真:活動の様子

その後、諸般の事情により会社を退職し、故郷の鹿児島で再就職されます。

一方、放送大学での勉強を続けていた古賀さんは、念願の全科履修生として卒業されます。心理学を専攻することにより、自身を更に良く理解し、定年後はカウンセラーになりたいと思っていた古賀さんは、大学院に進学することも考えていました。そして、平成14年4月から放送大学に大学院が新設され、科目等履修生として新たに勉強を開始されます。

今の夢は臨床心理士だという古賀さん。ただ、臨床心理士は臨床経験の問題、本人の適性が必要となるため、今後この分野に進むかどうかはわからないそうですが、いつチャンスが与えられても対応出来るように勉強を続けていらっしゃるそうです。

古賀さんより、一言

協力隊OBで私とつながりがある多くの人達も一生懸命努力を続けていて、時折「誰々が大学を卒業した《とか「誰々が大学院を卒業した《とか「誰々が留学した《などと聞くと非常に嬉しくなり「よし、自分の出来る限り、自分自身を高める為に努力しよう。もっと自分の可能性を確かめる為に、もっとより良く生きる為に少しずつでも努力しよう《と思いを新たにしています。

 


(文責:寺西)
(JOCA近畿支部の機関誌『JOCAネットワーク近畿 VOL.75 2004.4.』に掲載されました)

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