スーダン事務所

画像:スーダン国旗

第9回 (2009年5月)
JICAスーダン事務所 ボランティア調整員
五十嵐 幸雄 (平成16年度2次隊 / バングラデシュ / 理数科教師)


2009年1月。赴任当初はどうなることかと思っていました。私にとっては今回が初めてのボランティア調整員業務。しかし、事務所でボランティア事業を担当する調整員は私一人。着任時にはボランティアもいない。派遣国は怪しげなイメージのあるスーダン。
2009年5月。私の頭はスーダン人カットになりました。昼食では毎日スーダン料理を食べています。温和なスーダン人の心に触れ、「ボランティアを通じスーダンへの良き理解者を増やしたい」という思いを抱きながら、ようやく調整員としてよちよち歩きを始めました。5ヶ月足らずの経験ですが、私の新米調整員生活について以下にご紹介しましょう。

スーダンにおけるボランティア事業

写真:国際協力省副大臣(中央)表敬で、派遣再開第一号の協力隊員(右から2番目)および所長 (左から2番目)と(筆者右端)

国際協力省副大臣(中央)表敬で、派遣再開第一号の協力隊員(右から2番目)および所長 (左から2番目)と(筆者右端)

かつてスーダンには、1990年から1993年にかけて7名の青年海外協力隊員が派遣されていました。しかし、9カ国と国境を接しアフリカ大陸最大の国土面積を誇るこの国では、長年内戦が続き、その影響などで援助は停止、ボランティア派遣も中止されました。2005年、紛争を続けた南北間で和平合意が成立しJICAも事業を再開します。しかし、国は大きく南北に二分されたまま、それぞれに政府がある一国二制度の状態のため、南北それぞれにJICA事務所が設置されました。ボランティア事業は、かつて協力隊員が活動していた北部スーダンで再び動き始め、2009年3月、実に16年ぶりとなる協力隊員(短期)1名が赴任し、活動を始めています。

参考URL:JICAホームページより
「スーダンへの青年海外協力隊派遣を16年ぶりに再開」(トピックス)
「16年ぶりJOCV再開した協力隊員派遣第1号として」(世界HOTアングル)

 

ボランティア調整員の仕事

写真:首都ハルツーム市(北部スーダン)のある市場の風景

首都ハルツーム市(北部スーダン)のある市場の風景

赴任したばかりの私にとって、まず直面した大きな仕事は、政府間の国際約束に基づく公文書のやりとりでした。ボランティアの派遣再開は決まっているものの、実際にボランティアが派遣されてくるまでには整えなければならない文書がたくさんあります。万が一そろっていない文書があると、ボランティアが空港に到着しても入国できなくなる恐れもあります。しかし、過去の資料はほとんど残っていません。責務の重さと見慣れない外交用語に冷や汗をかきながら、関係する省庁や日本大使館と一つひとつ手順を確認し、準備していきました。

同時に、ボランティアの要請をとりまとめねばなりません。関係省庁や配属予定先へ足を運び、担当者との打ち合わせを重ね、まだ見ぬボランティアの活動ぶりを想像しながら要望調査票にまとめます。JOCV枠UNV(国連ボランティア)の要請もあるため、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)など国連機関との折衝に赴くこともあります。

赴任して2ヶ月ほど経ったころ、スーダン派遣ボランティアの合格者が決まりました。すると、ボランティア受入に向けてさらに慌しくなります。合格者に対して任国の生活環境や住居に関する情報を提供するため街中を歩き回り、省庁や配属先等への表敬訪問および各種オリエンテーションをアレンジし、広報資料を作成します。いよいよ赴任となったときは、ホテルの手配から空港での出迎え、表敬やオリエンテーションの実施、配属先への紹介、住居探しのサポート、在留邦人への紹介などに動き回りました。安全対策や健康管理面でのサポートも必要です。安全対策では、毎日の治安情報収集に加え、緊急連絡網整備として携帯電話(地上波・衛星)の調達や管理、JICA関係者の動静把握などを担当しています。健康管理では、自ら病院や薬局の実情を把握したり、常備薬や予防接種ワクチンを手配したりして万が一の時に備えます。これら全ての業務に付随する経理処理や予算管理もおろそかにはできません。

ちょっと変わった仕事としては、南部スーダンで手作りのプレハブ新JICA事務所が完成し、その引越しをお手伝いしたことがありました。蒸し暑いなかでの作業は大変でしたが、事務所がまさにゼロからできあがっていく過程に身をおき、未来のスーダンやJICA事業に思いをはせることができた貴重な経験となっています。

こうした仕事の一つひとつを支えてくれるのは、やはり良好な人間関係だと思います。スーダン事務所では、南北両事務所をあわせ、日本からのスタッフ8名とナショナルスタッフが一丸となって事業を進めています。また、赴任前に研修を共にした調整員、協力隊事務局のみなさん、訓練所勤務時代に知り合った方々からもアドバイスをいただき、何とか仕事をさせてもらっているような状況です。そのほか、ボランティアや専門家、関係省庁や配属先、他の在留邦人や援助機関関係者など、日々多くの方々と接する仕事ですので、そうした出会いを楽しめることが調整員業務の鍵といえるかもしれません。これからますます事業拡大が見込まれているスーダン事務所で、今後も人とのつながりを大切にしていきたいと思います。

ある1日の仕事

写真:昼食で食べるスーダン料理

昼食で食べるスーダン料理

朝・午前
8時前に家を出て、30分ほどの道のりを徒歩で通勤しています。首都ハルツーム市内はとても治安が良く夜も歩いて帰れるほどですが、そのため同国内の紛争地域の悲惨さを実感できないというところがかえって問題なのかもしれません。
8時30分、メールや公電を確認し対応します。10時、先方政府機関やボランティア配属予定先等との打合せに出かけます。


12時、事務所で他の所員やナショナルスタッフとスーダン料理の昼食をいただきます。食後のお気に入りはスーダン名物のハイビスカス・ティーです。

午後
要望調査や打合せ資料の作成、ボランティアへの対応など。終業時刻の16時30分に帰ることはまずありませんが、急用がない限り早めに帰宅します。酷暑期は日中50℃、夜30℃を超えるので、十分に体と心を休ませ体調を整えることも大切な仕事の一つです。


日本からの来訪者やJICA専門家、国連機関やNGOの日本人関係者らと夕食をともにすることがしばしばあります。在留邦人との情報交換は、業務にも直結するので欠かせません。

 

これまでの経歴と調整員応募のきっかけ

私がボランティア調整員という仕事に関心をもったのは、人を支えるところにやりがいや面白さを見出せると感じたからです。
私の社会人生活は、出版社の業界誌記者として始まりました。しかし、「もっと人と直接ふれ合える仕事を生涯の仕事にしよう」と、小学校教諭を目指すことを決意。退職し、通信教育で教員免許を取得、教員採用試験を経て、北海道で教員となりました。ところが、教員になってしまうと今度は、学生時代から関心をもっていた開発途上国での仕事にも思いが募り、青年海外協力隊へ応募することに。晴れて理数科教師隊員として合格通知をいただき、3年間勤務した小学校を離れ、バングラデシュへ赴きました。ボランティア調整員の存在を知ったのはその時です。ただ、2年間の活動中に自分が調整員になろうと思ったことはなく、進路の選択肢に入ってきたのは帰国後のことでした。日本とバングラデシュの教育現場を経験したことで、教員にこだわらずより広い視野から教育に携われる仕事はないかと考えていたところ、「人を支え、喜びや悲しみを分かち合える」という点で教員と調整員は相通ずるところがあるのではないかと思ったのです。しかも、調整員であれば国際協力への関心も満たせます。

そこで、JOCA主催による「調整員経験者によるセミナー」へ参加しました。その縁で、二本松青年海外協力隊訓練所の訓練スタッフになるという道が開け、JICAボランティア事業に関わる経験を積みながら調整員応募へ備えることになります。訓練所では、JICAボランティアやJICA関係者との接点をもてただけでなく、JICAボランティア募集説明会に来てくださる参加者や、海外でのボランティア経験を日本社会へ還元しようと活動されている方々、ボランティアを応援してくださる地元の方々にも出会えました。こうして、JICAボランティア事業の入口から出口までの全体像を見た経験が、その中核を担う調整員応募への意志を固めてくれたと思います。

実際に調整員になってみると、今はその広範な職務内容に力不足を感じてばかり。しかし、言い換えればそれだけ自分の可能性を広げるチャンスが多く、やりがいに満ちているとも言えるでしょう。ようやく動き始めたスーダンのボランティア事業とともに、私も調整員として走り続けていきます。

 

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