ブルガリア事務所

第5回 (2006年6月)
JICAブルガリア事務所 ボランティア調整員
片木 辰弥 (平成8年度2次隊 / ブルガリア / 測量)
たくさんの人の思いに支えられる協力隊事業

隊員時代からお世話になっているナショナルスタッフと
大学を卒業後、民間の会社で約2年遺跡発掘調査に従事した後、青年海外協力隊員として2年間ブルガリアに派遣されました。隊員時代は、地方都市であるヤンボル歴史博物館にて、測量士として管轄地域の発掘調査及び遺跡の地図作成等の業務に従事し、その後、再び青年海外協力隊員(短期派遣)プログラムオフィサーという職種で1年間ブルガリアの青年海外協力隊事務所にて調整員補助業務をおこないました。
帰国後は、JICA文化遺産無償の調査団員、JOCA職員として協力隊の派遣前訓練業務等に従事し、2004年1月からブルガリアのボランティア調整員として派遣され、現在に至ります。2回目の協力隊員として、調整員業務の補助をおこなっていた時に、さまざまな隊員の活動を見る機会に恵まれ、多くの人や思いに支えられている協力隊事業であるということを感じ、もっと深くこの事業に関わりたいと思ったことが調整員に応募したきっかけです。
馴染み深いブルガリア事務所は

ブルガリア駐在員事務所
ブルガリア駐在員事務所は所長、ボランティア調整員2名、企画調査員1名、ナショナルスタッフ4名の合計9名です。ナショナルスタッフの半分以上が、隊員時代からお世話なっているスタッフばかりで、調整員として赴任した時も「ただいま戻りました」といった感じでした。昔も今も彼らに助けてもらいながら、業務をしています。
私の仕事として、全体では安全・健康管理・新隊員受入などを担当し、その他の業務については隊員の分野別で分け、教育支援分野(日本語教育を除く)・文化支援分野(博物館など)・環境支援分野・福祉支援分野に派遣されている隊員の主担当として対応しています。
ある1日の仕事
8:30に出社、メール・郵便物・回覧物のチェックや回答。午前中、健康診断、ワクチン接種レポート、傷病報告書の提出、国際協力共済会の経理書類整理。13:00~14:00昼食、休憩。午後は帰国隊員表敬訪問予約、関係隊員・配属先への連絡、依頼文書送付。新隊員用オリエンテーション資料作成及び現地語学訓練校との打ち合わせといった新隊員受入準備。20:00帰宅。 また、安全・健康関連担当ということもあり、事故・病気などが発生した場合はすぐに対応できるように、心がけています。
EU加盟にむけての動き ~協力隊の必要性~
派遣国のブルガリアは、立地の問題でヨーロッパ先進諸国と同じイメージを持つ人が多く、「どうして協力隊が派遣されているのか?」と疑問に思われがちです。この国は、1989年に旧来の共産主義から民主化・市場経済化への移行をおこない、現在はEU加盟を国の最優先課題として捉え、さまざま改革がおこなわれています。こうした中、高い失業率、若者の海外への流失、貧富の拡大、地域間格差の拡大、環境汚染、麻薬・組織犯罪問題などさまざまな課題があり、社会全体に大きく影響を与えています。徐々に変わってきていますが、共産主義の頃の経験から「仕事をしても給料は同じであれば、楽をした方が良い。」「2人いれば、お互いに相手が仕事をするものと思い込み、結局行われない」など、個々は優秀なブルガリア人ですが、集団になるとその力が半減すると言われています。
またブルガリアのように、共産主義時代の教育が残る移行国では、外部(外国人)が与える影響が非常に大きいと思います。今まで自由な発想が押さえつけられていたため、学校教育や決まりごとに対して“疑問を持つ”という発想も無かった彼らが、「協力隊員の影響により、いろんなことについて見つめなおすことができた。人生に積極的になれた。」といった話を聞きました。移行国であるこの国だからこそ、ともに生活し活動する協力隊員が必要であるとも言えます。
アメリカ大使の言葉
2006年3月1日、JICAキャンペーンの一環として、アメリカ平和部隊と共同でブルガリア国内でのボランティア事業発表会が開かれました。雨が降り、出足の心配がされましたが約130名の関係者が集まる中、JICA事務所から事業概念や戦略を説明するとともに、テーマごとにブースを設置し、ボランティアやその同僚たちの活動紹介を行いました。ボランティア同士の交流や意見交換の場として非常に有意義な機会でしたが、その中でも特にアメリカ大使の言葉が印象的でした。「自分がこの世界に何を貢献することができるのか?といった精神を広めることが大切である。」
私自身この言葉を胸に刻み、これからも青年海外協力隊事業のサポート役として頑張っていきたいと思います。











