製作後記(2016年3月23日掲載)

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公開初日、新宿・バルト9にて

この映画を見た人たちが口をそろえて「リアルな映画だ」「等身大の協力隊員だ」といった感想を語ってくれますが、その理由には大きく二つあります。キャスティングのフィット感とストーリーやエピソードの多くが事実に基づいているということです。

キャスティングでいえば、主役で写真隊員の沢田樹を演じる黒木啓司さんの迷いや葛藤が、演技を超えて出ているように思えます。また、沢田のライバルの村落開発隊員を演じる渡辺大さんと助産師隊員役のTAOさん、訓練所長役の長塚京三さんの演技もさりげない。全体的に肩に力が入っていなくて自然体なのです。

そして、特筆すべきはフィリピン側の出演者たちです。彼らの中で、プロの俳優は、観光省の沢田の上司役の男性だけ。沢田が助ける子供、ノエル役にいたっては、本当にストリートボーイのような生活を送っていた少年を起用しています。だから、本物らしい雰囲気を醸し出せたと思います。フィリピン人たちの演技に対する勘の良さにも驚きます。彼らには、エンターテインメントに対する才能がもともとあるような気さえするのです。

もう一つの理由、事実をベースにしたストーリーについていえば、ドジョウの養殖をする隊員や、岩手県の吉里吉里で「復活の薪」プロジェクトを展開する隊員OBは、実際に現在進行形で存在します。看護師が「貧しいから赤ん坊を生みたくない。堕胎して欲しい」と懇願されたたエピソードも、日本軍と戦って負傷した痕が残る長老が隊員を助けてくれた話や、隊員の世話役のカウンターパートが大金持ちの息子だったという話も事実に基づいています。

実際、隊員が訓練所時代に酒を飲み過ぎることもあるし、映画の後半に出てくる金の採掘場は、現在も掘られている所を借りてロケをしました。だから、いたる所で現実感にあふれているのです。

だが、最もリアルさを出している原因は、協力隊をいわばスッピンで描いたところでしょう。これまでメディアで描かれてきた隊員像は、いささか美化されていました。一般的にもそう見られている面があります。それは、「ボランティア」という、どこかきれいに描かれざるを得ない言葉の魔力が起因しているのかもしれません。

この作品においては、その言葉を真正面から疑うところから出発しています。それは、実は多くの隊員たちがどこかで自分自身に悩みながら活動している本音の部分なのです。

隊員は、必ずしも“優等生”ばかりではありません。主人公沢田のような劣等生でも参加できます。そして、2年間何の成果もあげられずに帰国する隊員もいます。この作品は、そんな理想的でもなんでもない、普通の青年を描いているのです。

では、ボランティア精神を持たずに他国の中に入っていけるかというと、それも難しいでしょう。自分の知らないコミュニティーに入っていくとき、「何かお手伝いしましょうか」と言いながら入っていくのは当然の心構えです。ボランティアの意味とは、それぐらいのことでも差し支えないように思います。

では、隊員は何のために派遣されるのでしょうか。もちろん相手国のためでもあり、日本のためでもあります。救われるのは誰でしょうか。相手国の人たちであり、隊員自身でもあります。

協力隊体験とは、大きな旅です。そもそも、なぜ人は旅をするのでしょうか。その答えの一つが「気づき」があるからです。常識とは異なる新たな発見があるからです。発見があれば、そのたびに世の中の見え方が違ってきます。気づきが多ければ多いほど、人生は豊かになります。成長します。それが、協力隊活動が本来持っている醍醐味ではないでしょうか。

私は、3月末をもって、いよいよエグゼクティブプロデューサーの役目を終えます。約2年間、応援をありがとうございました。映画製作は困難を極めました。映画に対する考え方も趣味も異なる大勢のスタッフが集合して作るわけですから、まとまるわけがありません。毎日のようにけんかのような激論が続きました。完成したのが奇跡のようです。小説「クロスロード」は、奇跡の映画にさらに磨きをかけ、内容を深めました。映画は劇場公開が終わり、各地で自主上映が始まっていますが、映画も小説もかわいがっていただければ、幸せに思います。本当にありがとうございました。

エグゼクティブ・プロデューサー 吉岡逸夫

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