Vol.4:羽熊広太
協力隊参加前は? ~すばらしき夢~

私は大学時代東京農業大学で化学や食品加工などを学んでいました。かつて農大は“協力隊予備校”とも言われた拓殖学科(後国際農業開発学科)の伝統があり、僕の周りには海外農業ボランティアをあたりまえにやったり、卒業後協力隊やJICAに行ったりする先輩が多くいたんですね。
それで自然と目は海外協力に向いていました。そのときの恩師である農大発酵学者であり「食の冒険家」の小泉武夫氏に感化され、「世界の食文化の研究」をライフワークにすることを決めました。
そこで思ったのが世界を制するには最低3ヶ国語(英語、スペイン、中国)が必要。10年計画で30歳までに全てマスターし、世界あちこちを食べ歩こう!と思いました。

人気の日本料理講座。
ホテルで鉄板焼き指導
卒業後、アジア各地を回り、英語と料理の修業にオーストラリアへ、町の日本食レストランで皿洗いから初め、五星某有名ホテルの鉄板焼きシェフになりました。修行は厳しかったですが、多くのプロの技を学びました。それは協力隊でも常に誇りを持ち、プロフェッショナルな仕事を心がけるということに役立ちました。
そして99年協力隊参加の夢が忘れられず、帰国、協力隊を受けました。職種は大学での専門の食品加工。志望国はもちろんスペイン語圏。
地域密着型 協力隊活動?
現地語学研修が終わったら、急いでラテンダンス教室に通って、夜は現地のラテンバーでダンスと言葉の練習。ラテンの国では言葉もダンスも交流の上で非常に大切なのですね。
語学研修の後、大怪我して入院、療養一ヶ月!赴任したが、まともな教室も機材も無いというアクシデント続き。しかし、優秀で協力的な職場の仲間、カウンターパート、そしてやる気のある生徒達に助けられました。
職場はグアテマラ国立の職業訓練校、赴任してすぐに講義を始めました。今考えるとよくあんな下手なスペイン語に生徒は皆熱心に聞いてくれたものだ。一年目は地元のNGOや婦人グループなどに、半年目からは好評につき日本料理講座もはじめました。半分料理隊員ですね。1年経ち、各地から依頼が来るようになり、地元はカウンターパートに任せて地方巡回講座を始めました。首都の有名ホテルや大使館、国連、はたや電気もガスも無い田舎の村まで、依頼があれば何処でも行きました。
また、隊員が日本文化紹介をやると好んでヘルプに行っていました。よく柔道や空手、沖縄エイサーを演舞しに行きました。日本料理ももちろん披露しました。もともと私は祭りが好きなのですね。ちなみに課外活動として、仕事帰りに地元の市場の中のボロ体育館で子供を集め、柔道を2年間教えていました。仕事でストレスがたまったときの発散の場にもなりました。
放浪のたびへ~芸は身を助ける
協力隊終了後、一度帰国、準備をして再びアメリカ大陸へ渡りました。協力隊の前から企画していた、“中南米横断食”の旅をするためです。ロサンゼルスから南米チリのパタゴニアまで。そして南米を一周しました。一年かかりました。各地の日系居住地の食べ物を取材して現地の新聞や日本へ記事を送ったり、協力隊員の後輩を訪ねたりしました。このときも隊員時代培ったスペイン語やラテンダンスやラテン料理などの芸が大いに役に立ちました。
“芸は身を助ける”というのは向こうで身にしみました。
猛勉強時代 中国留学、そしてヨーロッパへ
南米から帰り、地元の公民館などでダンスや料理講習会をしつつ、中国の大学の語学コースの準備をしました。というのも30歳までに3カ国語をマスターという目標の最後の一つがまだ達成されていなかったからです。SARSや反日事件もなんのその、船で北京へ渡り、大学で猛勉強しました。協力隊の訓練所より勉強しました。人生の中で一番勉強しましたね。授業の後は毎日食べ歩きと中国語のレシピを集めていました。
丁度、30歳になったときに語学コースを卒業しました。それから北京発シベリア鉄道に乗ってヨーロッパを目指しました。モンゴルや東欧の協力隊員に会って話を聞いたり、現地でイタリア語を勉強したり、結局半年でヨーロッパほぼ全て25カ国回りました。もちろん各地のレシピも集めてきました。協力隊に行くとどちらかというと第3世界に思いれが強くなり、ヨーロッパや先進国の見方とは少し違いができます。私も今回、グローバル化と激動のEU諸国を回り、これから世界や日本がどうあるべきかについ新しいアイディアを多く見つけることができました。結論として、第3世界も日本も、ヨーロッパも庶民の生活はそんなにかわらない。皆同じ人間だということでした。
今・・・地元でできること
今、6カ国語を使い、60カ国を回ってきました。しばらく地元、広島に腰をおちつけて、データや写真のまとめをしたいと思います。本も書く予定です。その傍ら、JICAさんより出前講座の依頼で各地の学校に中南米を中心とした話をさせてもらいに行っています。また、廿日市国際交流協会企画で、在住の外国人や留学生をゲストに迎えて世界の料理やダンスなどの講習会をやっています。
これから・・・経験を生かして
「世界の食文化」を追及するというライフワークにはかわらないですが、協力隊経験や世界を回り、音楽や食などを通した民間の異文化交流に非常に期待を持っています。
外国の言葉がしゃべれ、その国の事情に通じているのは強みになります。そして広島にいる留学生や外国人の方のヘルプにもなれます。今後、広島でそういう人たちの活躍の場、交流の場を作っていければと考えています。
そして世界の文化を伝えることにより、日本のすばらしい文化も地元の人々と共に再確認していきたいと思います。
皆さんにひとこと!・・・人生を楽しんでください。
私はラテン気質というのもありますが、「努力」や「がんばる」よりも『楽しむ』というのを大切にします。語学にしろ、ダンスにしろ、楽しいときに一番体に入ってきます。そして自分が楽しくないことは人にはうまく教えられません。皆さん、一生懸命がんばってとは言いません「一生懸命人生を楽しんでください。」
真面目な姿勢で活動熱心、しかしその場の空気をサラリと変えて、踊りだしたら止まらない。ラテン気質で楽しんで生きる、エンターテイナー羽熊さん。 ご協力どうもありがとうございました。今後の活動も楽しみです。応援しております!
※豆豆知識
食品加工とは?
食品を加工することにより、保存性、輸送性、簡便性、商品性を高めること。趣向性の向上も忘れてはいけない。隊員時代はジャムやジュース、ドライフルーツなどの果実加工。ピクルスなどの野菜類加工。燻製やハムの畜産加工。酒や漬物などの発酵食品。など要望があれば何でもやっていました。
食品加工と料理の違い
食品加工には、化学、数学、微生物学、衛生学、栄養学など多くの科学知識が必要です。しかし私はあくまで日常の生活である家庭料理の延長線上にあるべきだと思います。お袋の糠づけや手作り味噌のように。





