Vol.2:吉田いつ子

怒涛の協力隊時代!?

写真:吉田いつ子さん
ラオスのシン
(巻きスカート)をはいて

1997年、中南米パナマ国に保健師として赴任。任地はコロンビアとの国境ジャングルに近い町の病院でした。赴任当時の治安は安定していたものの3ヵ月後、危険区域とみなされ、任地変更。たどり着いた次の任地は、首都からセスナ機で約1時間サンブラス諸島の中の少数民族クナ族の島でした。20分で島を一周できるほどの小さな島。伝統的な生活、風習を重んじる中で、栄養失調の子供達、麻薬、エイズ等の問題をかかえていました。
そんな中で吉田さんは、島の病院で、時には村を巡回しながら、エイズ教育、衛生教育などを試みました。栄養失調の多い問題には、人形を製作し、「母乳で子供を育てよう。」とわかりやすく人形劇で伝えたそうです。
そして伝統的な観念を少しでも変えていこうと、人々の前の発表は、現地のクナ族の健康推進員である彼ら自身の言葉で発表していくようにして、同民族同士の中で声をあげてくれる人を集めていきました。吉田さんはあくまで黒子として健康推進員への指導や教材作りなどの裏方として活動されたそうです。
現地の人々の生活や宗教観など、常に新鮮に感じた協力隊時代。もっと住民の中に入り込んで活動したい。人々の持つ意識を尊重し、滞在能力を引き起こしながら問題を解決していく、という役割なりたいと感じた吉田さん。もう頭の中には次の道を思い描いていました。

国際色豊かな勉強の道

帰国後1年間、プライマリーヘルスケアのマネージメントを学ぶために、タイのマヒドン大学に留学。インドネシア、ベトナム、スリランカ人等約14カ国のクラスメートと共に、各国の様々な国事情を聞きながら、当時住民主体の地域医療が盛んに行われていたタイの現場を見ながら学んだそうです。

ラオスでの活動

留学時代に出会った鹿児島県のNGO『じゃっど』の関係でJICAの小規模開発パートナー事業で、ラオスに1年間派遣されました。寄生虫対策プロジェクトで成功を収め、その後も約8ヶ月の間、現地専門家と連携して小児保健向上プロジェクトでコンサルタントとして活躍されました。

主に、駆虫薬投与、健康診断、自転車ポンプを使って水をくみあげる設備の導入など、健康教育では、教師による紙芝居、寄生虫ゲーム、ラジオドラマ、絵本、PTAづくりなど、ここでの活動も現地の人々の目線でたち、わかりやすく指導することを努めたそうです。特に紙芝居教育では、歌を歌いながら、ストーリー仕立てで作り、子供達を主人公にさせることによって実感させるようにしました。その後教師から子供の手に渡り、自ら子供達が話し手となるようになったそうです。そしてラジオドラマでは、多民族のラオスならではの各民族の言葉で教材をつくり、各地域へ広めていきました。できた教材は先生達の研修に使われ、学校保健改革につながりました。時間はかかるけれど、草の根レベルで活動を続けられたらいいと、継続的に少しずつ広めていくことを目標に進められたそうです。

地元広島に戻って

その後、地元広島に戻り、広島の市議会議員の秘書として新たな道に進みました。教育、少子化の中の子育て等の問題を身近に感じ、日本国内での地域活動の大切さを考えました。地元の学校での国際理解出前講座などにも積極的に顔をだしながら、地域密着型の活動の大切さを実感したそうです。現在、契約期間が終了し充電期間中ではありますが、国際保健をライフワークとし、更なる挑戦を続けていくそうです。

皆さんにひとこと!

 協力隊のように、草の根レベルで、人に伝えていくことを求められている今、国内で還元できる場をふやしていきましょう!

 

自分自身の活動を見つめ直し向上心を持って前に進む、そしていつも笑顔で、なんでも乗り越えられる力をもっている吉田さん。ご協力ありがとうございました。JOCA一同応援しております。又、様々な分野で活躍されているOVの方のお話をお待ちしております。突然の取材にうががうかもしれません。よろしくお願い致します!


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