囲碁と青年海外協力隊員・・・O君のこと(長田 克比古 S46年度2次隊/フィリピン/獣医)

ピシッ・・・ピシッ・・・と交互に黒石と白石が打たれていく。熊本県出身のO君は、日本青年海外協力隊の隊員である。若干二十歳で志願した彼の専門は竹工芸。端正な顔立ちの美青年で同期の中で最も若い隊員だった。

ここマニラにある協力隊の事務所兼駐在員宿舎は、地方に赴任した隊員がマニラに来た時のくつろぎの場所でもある。駐在員夫人の手になる日本食が心の支えになる。ミンダナオ島の山奥に赴任した土木のM隊員は六ヶ月間、毎日毎日塩漬けの小鰯だけでパラパラ米を食べ続けた。

事務所の一角にある談話室の片隅で、新聞の対局譜をのぞき込みながら“ひとり碁”を打つ彼の姿は、かれこれ三時間に及ぶ。フィリピン滞在一年近くになり、満足な医療施設のない赴任先のまちから健康診断にやって来たのは三日前。翌日から大降りになった雨は止まらず、昨日からマニラ一帯は深く浸水して車の通行は不能、郊外にある国際空港も閉鎖されてしまった。真一文字に結んだ紅の口唇、長い睫毛に真っ黒な大きな瞳、ピシッ・・・ピシッ・・・と交互に打ち続ける彼の横顔は、綺麗と言うのか妖艶と言うのか・・・。

三時間前、東京の事務局からの電話を取ったT駐在員が、居合わせたO君をそっと呼んで伝えた。「お父さんが危篤だそうだ」...≪!!...飛行機は? 空港閉鎖中。 パスポートは? 赴任先の下宿の部屋。 赴任地までの交通手段は? 道は寸断?... 間に合わない≫...「帰りません」....駐在員の机を離れた彼は碁盤に向かった。

私は、協力隊を目指す若い人にこの話をする。海外生活では、大きな深い悲しみに出会った時、自分自身の力で乗り越えなければならないけれど、技術を教えに行くだけなら、とても一人でそんな試練には立ち向かえない。しかし、技術を携えて教えを請う気持ちで赴任するのなら、現地の仲間がきっとあなたを支えてくれると。

このあと、多くの仲間に励まされたO君は、「タタイ、ママイ(おとうさん、おかあさん)」と下宿の夫妻を慕い、任期二年を全うして帰国することができた。

実は、この話には続きがある。
台風一過、夕方遅く雨が止み、事務所にいた全ての隊員は、ジャブジャブ歩いてホテルに向かった。遅い夕食を摂ったあと部屋に戻って「・・・大変だったな」と声を掛けると、見る間にO君の大きな丸い目に涙が溢れ出し、「悲しい・・・悔しい・・・本当に。・・・ほんとうに悔しいんや。父さんを越えようと思ってたんや。でも・・・もういない・・・」ボロボロこぼれる大粒の涙を拭いもせずに、ベットのマットを叩きながら彼は訴え続けた。その姿に、今朝見た“ひとり碁”を打つ彼の姿が重なる。
悲しみと悔しさに耐える男児の震えるような心の葛藤を、“囲碁”とは、こんなにも強く支えることができるものなのか・・・と。

 

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