応援者(水谷 将之 H15年度1次隊/スリランカ/サッカー)

協力隊を目指し退職をすることを、親も含め皆反対した。
唯一応援してくれた人がいる。

当時付き合っていた彼女だった。
彼女29歳美容師。僕は25歳だった。

合格するまでの3年間、彼女は何も言わずただ応援してくれた。
しかし一度だけ彼女が泣いて怒ったことがある。

それは二度目の試験に落ち、2年が過ぎようとして僕も焦っていた。
弱気になって諦めようかと思うが、諦めきれず、逃げるような気持ちで 「ワーキングホリデーにしようかな」とボソッと言ったことがある。

その時彼女が泣きながら言った「あなたの夢はそんなものだったの?海外に行くことが目的なの?世界の子供たちにサッカーを教えたいって夢があるんじゃないの?そんな簡単に諦めて無難なものを選ぶなんて!私は何のために待ってるの?!」

初めて彼女が自分の気持ちを素直に言った。おそらく僕を信じていたのに悔しかったんだろう。僕以上に僕の夢が実現するのを願っていたに違いない。
それなのにあっさり軌道修正しようとした僕に怒りまじりに悔しさがこみ上げて来たんだと思う。
やり切れない不安とどうしようもない落胆で僕も一緒に泣いたのを覚えている。

そのことがあってから僕はブレなかった。ただひたすら合格することのみを信じてより勉強した。もう合格は僕一人のものではなくなったから。

三回目の試験。

合格した。

真っ先に彼女に知らせた。一番知らせたくて一番喜んでほしくて真っ先に電話した。

「そう、よかったね」
彼女は寂しそうに言った。
予想していたのとは真逆のリアクションに、僕はやっと気づく。
合格したら 2 年間彼女を置いて行くという事実を。そして彼女の寂しい気持ちを。

そのことを十分分かっていて応援してくれた彼女の気持ちをこの時初めて感じた。

出発当日、成田空港まで見送りに来てくれた友達や彼女。
帰国後友達から聞いたのだが、僕の飛行機が飛び立った時、泣きながら空港のロビーを走って追いかけていた、と。

普段は気丈で明るい彼女、33歳から2年間僕の帰りを待った期間は不安で一杯だったろう。
彼女が居たから合格できた。
あの2年があったから僕らは強くなれたような気がする。

その彼女が今日もリビングで子供と遊んでいる。

 

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