新生児の命と家族の命(佐々木 浩子 H9年度1次隊/ネパール/助産師)

私は助産師としてネパールの地方病院で活動していました。活動1年目の忘れられない出来事です。

生まれたその子は標準よりも小さく 2,000グラムを少し超えるくらいでした。啼泣力も弱く、筋緊張も弱い為、このままでは重篤な状態になることが推測されました。私は分娩室から外にいる家族に急いで点滴を買って来るように指示しました。ネパールでは保険制度は無く、病院には患者に使用する薬品や医療セットが置かれていないのです。必要時、家族に買ってきてもらうシステムなのです。急いでと言ったのに5分経っても点滴は届けられません。走れば1、2分の所に薬局は有るのです。私は努力呼吸をしている新生児にアンビューバッグで酸素を送りながらスタッフにもう一度依頼しました。戻って来たスタッフの口から耳を疑う言葉を聞いたのです。

「シスター(ネパールでは看護師をシスターと呼ぶ)、家族が治療をして欲しくないそうです」。私は一瞬何を言っているのか理解できませんでした。自分の子供が死にそうなのに治療を望まない家族がいる。そんなはずはないと思い、スタッフにアンビューバッグを押すのを替わってもらい家族の所に向かおうとしました。しかし、分娩室の扉を押したが開かないのです。父親が必死に扉を押さえて、私が出られないようにしていたのです。扉の向こうで新生児の父親が「どうか、どうか、このままにして下さい。点滴を買ってしまったら、明日から私達家族は生活が出来なくなってしまいます。病気の子供を抱えて生きて行くことは出来ないのです。シスター、どうかこのままにして下さい。私達家族を救って下さい」と懇願するのです。命を救う為に助産師になり、これまで一度も命を救う事に迷いなどなかった私です。怒りがこみ上げてきました。しかし、私にはどうする事も出来ませんでした。分娩室の外に出ることも出来ず、悔し涙を流しながらアンビューバッグを押し続けました。側にいた看護助手のスタッフが私に、新生児の家族には既に6人の娘がいること、ネパールではお嫁に行く時には結納品を嫁になる家で持たせなければならないこと、だから、ネパールでは女が3人産まれたら父親は首をくくらなければいけないと言われていることを教えてくれました。生まれた子供の命を救う事、残る家族の命を護る事、父親の選択は非常につらかったのだと思います。

私は助産師として救える命を助けられなかった後悔は今でも持ち続けています。この後悔から、私が助産師としてネパールに何が出来るのかを考えました。どの子どもにも教育の機会が与えられれば、自分の身体、家族の健康について考え行動できるようになるのではないかと思っています。健康教育の教師となってネパールに帰るのが今の私の夢です。

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