洗濯板普及(上田 敏博 S63年度1次隊/フィリピン/木工)

1988年、フィリピンのパナイ島に派遣されて、国立職業訓練学校で、机とイスの作り方を、教えていた。下宿していた家のおばさんに洗濯を頼むと、衣類に穴が開いてくる。

ある日、コッソリ、あとをつけて見に行くと、コンクリートにぬらした衣類を置いて、木の棒でたたくやり方。だから、穴が開く。ボタンは割れる。そこで、日本古来の『洗濯板』を普及させることを思いついて、名古屋の母親に手紙で『洗濯板は、どのようなものか』を、問い合わせた。母親からの返事が来た。名古屋の雑貨店で売っていた。その情報を基に洗濯板の試作品を作って、下宿のおばさんにあげたら、使ってみて『ヨゴレが良く落ちて、らくだ』と評判になり、近所の主婦からも作ってくれと頼まれた。そこで、職業訓練学校の、最初の『机とイスを作る授業』は棚上げにして、『洗濯板』の作り方を教えた。作った洗濯板を50ペソで売る。材料の板は35ペソ。15ペソの現金収入が、訓練学校生徒に入る。フィリピンのパナイ島だけでなく、フィリピンの全地方にある国立職業訓練学校の教材として指導を依頼された。フィリピンアチコチで製作して、洗濯実演して、洗濯板がどういうものかを、その地域の主婦たちに教えて、その地域の訓練学校生に、作り方を、教えた。

フィリピンの庶民が、『たたき洗濯』をやめて、『洗濯板を使う洗濯』をして、汚れが落ちて、楽になり、フィリピンの若者が洗濯板を作って売って現金収入が増えて、安定収入が入って喜ばれ、フィリピン全国に普及して、フィリピン政府から賞状をもらった。

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