青年海外協力隊エピソード 入賞作品発表(2013年7月26日掲載)

このたびは1,000件を超える多数のご応募をいただき、まことにありがとうございました。審査した結果、下記の19作品が入賞作品として選ばれましたので、ここに紹介します。
(掲載は順不同,敬称略)

祖母の味噌汁(山田 和輝 H20年度3次隊/カンボジア/環境教育)

私が小さい頃、両親が共働きだったため、小学校から帰ると祖母が面倒を見てくれていた。祖母の料理の味はとても濃く、塩辛いのがネックであった。特に味噌汁があまりにも塩辛く、私は小さい頃、味噌汁は少ししか飲まなかった。なぜ祖母の作る味噌汁は母と違って塩辛いのかと聞くと、「昔の人は濃い味が好きだから」といっていたが、当時その意味がよくわからなかった。

洗濯板普及(上田 敏博 S63年度1次隊/フィリピン/木工)

1988年、フィリピンのパナイ島に派遣されて、国立職業訓練学校で、机とイスの作り方を、教えていた。下宿していた家のおばさんに洗濯を頼むと、衣類に穴が開いてくる。

宇宙人のカマド普及大作戦(中西 葉子 H19年度3次隊/マダガスカル/村落開発普及員)

「君の顔!あ~カマドの人ですね!!」と私の職場に研修で来ていたマダガスカル人と出会った時のこと。初対面なのに、マダガスカル人は私の顔をすでに知っていたのです。そしてこの時私は、村人とともに開発したあのカマドがマダガスカルで広く普及していることを知ったのです。

ヒデオ、貴方の人生の目的は何? (松橋 秀男 S63年度1次隊/フィリピン/食用作物)

任国外旅行でタイを訪問し一人でバンコックの安宿に泊まり、アユタヤへの日帰りツアーでの話。

新生児の命と家族の命(佐々木 浩子 H9年度1次隊/ネパール/助産師)

私は助産師としてネパールの地方病院で活動していました。活動1年目の忘れられない出来事です。

ダラダラでの赤ちゃん(高木 史幸 H13年度2次隊/タンザニア/村落開発普及員)

「ダラダラ」という小型の乗り合いバスの話です。ぎゅうぎゅう詰めのダラダラに乗っていたところ、途中で赤ちゃんを連れたお母さんが乗ってきました。

バリアフリー(井上 都三女 H13年度/トンガ/日本語教師)

私がトンガ王国ババウ島で不安な生活をスタートさせた頃、3,4才の少女が向かいの家から遊びに来た。茶色のパサパサの巻毛と小さな顔には派手すぎる丸い瞳。まだトンガ語でマロエレレイ(こんにちは)くらいしかできない私に、少女は容赦なくトンガ語の洗礼を浴びせたかと思うと、自慢気に足の指を見せて、ニコニコ笑って自分の家に戻って行った。

閉会式に出る意味(小林 若菜 H24年度1次隊/カンボジア/青少年活動)

閉会式に参加する意味を考えたことがあるだろうか?
勝者は景品をもらえるけれど敗者は悔しいのみで、良いことが1つもないのに敗者も閉会式に出るのはなぜだろうか? 初回の運動会開催校で閉会式の際敗者が帰ろうとしていたので止めると、何故参加しなくてはいけないのかとその生徒に尋ねられた。

異文化に暮らす(談儀 善弘 S8年度1次隊/ネパール/理数科教師)

青年海外協力隊に参加してネパールの山間部の学校に派遣されたとき、私は本気でネパール人になりたいと思っていた。それは決してネパール国籍を取る、とか永住したい、などという意味ではない。10 年くらいは活動してもいいかな、とは思っていたけれど、派遣されている間は、彼らと同じような生活をしたい、という感覚だったのである。

シリアへの想い(前田 紗織 H16年度3次隊/シリア/日本語教師)

半年ほど経った時、初級でまだ日本語がつたない学生が、私に話しかけてきた。
「先生、元気がありませんね。どうしたんですか?」
彼は、日本で言う東大にあたるこのダマスカス大学で学ぶいわゆるエリート学生。アジアに憧れ日本語を学んでみたところ、すっかり魅了されたという若者のひとりである。

応援者(水谷 将之 H15年度1次隊/スリランカ/サッカー)

協力隊を目指し退職をすることを、親も含め皆反対した。 唯一応援してくれた人がいる。 当時付き合っていた彼女だった。

囲碁と青年海外協力隊員・・・O君のこと(長田 克比古 S46年度2次隊/フィリピン/獣医)

ピシッ・・・ピシッ・・・と交互に黒石と白石が打たれていく。熊本県出身のO君は、日本青年海外協力隊の隊員である。若干二十歳で志願した彼の専門は竹工芸。端正な顔立ちの美青年で同期の中で最も若い隊員だった。

ソロモンの宝~自然と知恵~(井上 栄 S20年度8次隊/ソロモン/ソフトボール)

私の活動は、教員養成学校での体育指導である。同僚となった40代の男性教員に学校の施設、備品を紹介してもらうと、なんとソフトボールの道具がある。私の最も好きなスポーツがソフトボールである。ソロモンに来てから一度もプレーをしている姿を見たことがなかったが、1999年の民族紛争が起こるまでは、中高等学校やリーグ戦があるくらい盛んに行われていたらしい。

ぶつかる「想い」が心を動かす (田中 直樹 H11年度3次隊/ホンジュラス/飼料作物)

2年間の任期で一度だけ、カウンターパートと大ゲンカをしたことがあります。
途上国ではありがちな状況かと思いますが、私の任国ホンジュラスもその例外にもれず、人々が路上にポイポイとゴミをポイ捨てするのが普通でした。

ガーナで教えられたこと(清水 康朗 平成8年度1次隊/ガーナ/農業機械)

私はそれまで試験というもので思い通りの結果を得たことは無かった。自分では、与えられたことをこなすより、自分で切り拓くことの方が向いていると思い込んでいた。アフリカで生活が始まった時もそう信じ期待を膨らませていた。しかし、事前に調べてきた任地とかけ離れた現状を見た時、情熱に火が着くはずの私の心は絶望感に包まれてしまった。

思い出のプレゼント(津田 かおり H10年度2次隊/マラウイ/地質調査)

マラウイに赴任してまもなくビレッジステイという研修があった。習いたての現地語を使って、民家にホームステイするというプログラムだった。ホームステイ先の家族に村を案内してもらっていたときに、事件は起こった。事件といっても私にとってだけなのだが。

物乞い(加藤 亮 H9年度1次隊/エチオピア/植林)

朝からイライラしていた。首都に上がってから毎日、人のいるところに行けば「チャイナ」口撃にあい、精神的にぐったりしていた。今日のはひどく、つばをかけてきた人がいた。私のイライラは頂点に達していた。

作り話 マリア(丸田 隆弘 S61年度2次隊/ホンジュラス/村落開発普及員)

ニカラグアにある女性隊員がいた。彼女の趣味は写真と紙芝居。着任当初から貧しい地区で幼児教育を行いたいと希望していた。

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