愛されるための自立(三牧由季/H22年度1次隊・ネパール・ソーシャルワーカー)

ネパールの知的障がい者家族会を中心にボランティア活動していた私は2年間の任期が間もなく終わろうという頃、現地の言葉で伝いたいことを伝え、やるべきこともやり、いい2年間だった、と自信を感じながら残りの活動に奮闘していました。 

そんな帰国1か月前、世界障がい者デーがネパールでも行われました。パレードやイベントが催され、地元マスコミも集まり、大々的に盛り上がっていました。私も日本人ボランティアとしてインタビュー取材を受け「ネパールでも日本でも障がい者の抱える大きな問題は同じです“親亡きあと生活に困らないような自立を”支援しましょう!!」と誇らしげに答えていました。周囲の参加者も「その通りだ!!」「いいぞ!!!」などと盛り上げて拍手をしてくれました。

イベントが終わり片づけをしている時、知的障がい児アユース君のお母さんに言われた一言で、私ははっとさせられました。

「ユキはずっと“親亡きあと生活に困らないような自立を”と言い続けてきたけれど、あなたは大切なことを学ばなくてはいけないよ。ネパールでは“親亡きあと”は親せき兄弟がお世話をするの。それは“仕方なく”ではなく、当たり前のこと。愛しているから喜んで行うことなの。だから“親亡きあとも愛され続ける人に”なってほしいの」

2年間の活動で出会ってきた障がいを持った人たち、その家族が、走馬灯のように思い出されました。皆、多くの家族や親せき、近所の人に支えられ、喧嘩しながらも喜んで支え、支えられている姿でした。そんなネパールの家族を相手に私は“親亡きあとの生活に困らないような自立を”と言い続けていたのでした。愕然としました。私が2年間伝え続けていたことって、いったいなんだったのか。頭が真っ白になりました。

しかし、彼女は「ユキが言いたかったことは“愛されるための自立”だということでしょ。わかっているわよ」私を抱きしめてくれました。彼女は私が伝えたかったことのその先まで考えてくれていたのでした。

最後に大きな「気づき」をした私は、帰国後、職場に復帰しました。職場は知的障碍者通所施設です。帰国した私は通所利用者の家族と話す中、「“親亡きあと”のために入所施設を探さなくては」と相談されることもしばしばあります。しかし、多くの家族は「出来れば一緒に暮らし続けたい」と思っているように感じます。家族や親せきが少なくても、一緒に暮らしたいと思う家族がそこにいるのなら、一緒に暮らせるようにサポートしていこう。そのために“愛されるための自立”を私はサポートしていこうと、心に決めています。

そして、現在アユース君のお母さんは、ネパールではなかなか取り組みにくいとされる「障がい児の排泄自立のためのプログラム」を積極的に行っているそうです。全ては“愛されるための自立”のために。

 

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