ミヤギナカガワ(中村晃一/H16年度3次隊・フィリピン・溶接)

私が派遣されていたフィリピンの町の学校で、スタッフがよくミヤギナカガワという変な言葉を言っているのを聞きました。そんな単語、現地語訓練でも習ったことないのに・・・。でも、よく聞くなあと不思議に思っていたものです。

しばらくして、どうやらその言葉は、前に同じ職場に派遣されていた協力隊員の名前だと気がつきました。最初に派遣された人が宮城さん、2番目が中川さんということです。まるで、「たいていの日本人は」という独立した意味を持つ単語であるかのように、「ミヤギナカガワはよくここに来ていた」「ミヤギナカガワはこの食べ物が好きだったよ」と、こんな調子です。もっとも、最後の中川さんが帰国したのが10数年前。もちろん、私は二人に会った事もなければ連絡を取ったこともありません。それからも「ミヤギはこんなことがあった」「ナカガワはあの時こういうことをしていた」と、よく昔のエピソードを聞かされたものです。

二人とも自動車整備士だったので、ミヤギさんが持ち込んだ日本語の整備書がまだ残っていたり、整備したバイクが残っていたりと、なんだかんだと二人の足跡をちらほら見かけたものですが、それよりも、こうやって長い間、名前を覚えて語ってもらえる存在になるって、すごいなと思いました。

私も帰国して早6年。日本人の名前がミヤギナカガワから、ミヤギナカガワナカムラに変わったかどうかは分かりません。まあ、単語にしては長すぎますね。未だに任地再訪の願いは叶っていませんが、あの町の人、職場の人は元気かなあと、今でも望郷の念に近い思いに駆られることがあります。またあのフィリピンの田舎の町に行く、というのが目下の夢の一つです。せわしない日本という国での日常生活に追われながら、ふと思い出す、あの時の日々は、なんとかこの国でやっていく、ひと時のオアシスかもしれませんね。ずっと名前を語り継がれる日本人になるって、素敵ですね。

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