大地が落ちたあの日から(太田 旭/24年度2次隊・グアテマラ・栄養士) 

「栄養士になれた!」。うれしかった。お金持ちではなかったので隠れてアルバイトをしながら忙しい毎日だった、そして目標の一つが叶えられたのだ。晴れ晴れとした気持ちで卒業式を終えた。でも、私が取り組みたいと思っている栄養失調児のためのケアができる就職先が日本では見つけられない。それ以前に、栄養失調の子どもの集団というのを聞いたことがなかった。時々いる虐待や経済的問題が原因での栄養失調児に対して栄養士としてできることも思いつかず、何はともあれ、まずは日本で実務経験をと思い地元で就職をした。

通算8年間、宮城県内の医療施設や保育園で働いた。その間もずっと栄養士として海外に渡りたいという思いが心に有り、自分が“今だ”と思えたタイミングが訪れたのは、20代最後の頃だった。

青年海外協力隊参加前の職場である宮城県石巻市の離島にある医療複合施設では、青年海外協力隊への応募を視野に入れながら、途上国での活動を意識し、2年間僻地医療に取り組んできた。間もなく退職というある日、2011年3月11日、東日本大震災により大きな被害を受けた。退職を先延ばしし、避難所と化した職場の医療施設で無我夢中で働いた。祖母の家が全壊。東北各地で友人、知人が他界したという知らせも届いた。精神的にも肉体的にも限界に挑戦せざるを得ない日々が続き、ずっと描いていた将来の自分像が思い描けなくなっていた。いつの間にか避難所のことばかり考え自分の将来について考えられない状況になり、考えようとしても、地元がこれほど大変な時に最優先に考えなければいけないことは何なのか?という疑問が先立ってしまっていた。

数ヶ月経った頃、ふと“自分のことを考える”ということを随分後回しにしてしまっていたことに気づいた。思い切って日本を離れて考えてみようと決断。フィリピンに語学留学をしながら国際交流をする中で、思いがけずフィリピンの学校や孤児院を訪れ食状況のリサーチをしたり、アンケート結果から考察し課題を持って学校へ授業をしに行ったり、食事相談にのっている自分がいた。「やっぱり、栄養士の仕事が好きなんだ。国際交流も好きなんだ!」。そう自分の気持ちを再認識できたこと、被災した友達や家族が私の背中を押してくれたこともあって、青年海外協力隊に応募することができた。

私は今、青年海外協力隊栄養士としてここグアテマラにいる。大好きな日本のことを見つめながら、栄養状態の悪い赤ちゃんや子どもが多い地域で現地職員と一緒に県民の健康増進・予防・治療に取り組んでいる。後悔は一切ない。

 

(協力隊に参加時の応募作品)

 

前のエピソードに戻る  次のエピソードを読む

エピソードコーナートップに戻る

ページの先頭に戻る