人々の声を聴き続ける~協力隊だからできること(田村雅文/H17年1次隊・シリア・環境教育)

2005年7月から2年間、シリアのダマスカスが赴任先だった。日本へ戻った後も、赴任時代からのシリア人の友人達とよく会い、懐かしい話で盛り上がった。2011年3月からのシリア国内の混乱で、彼らは家族を心配しながらもシリアへ帰ることができなくなった。2012年3月が過ぎ状況が悪化する中、シリアの協力隊経験者に声をかけ、シリア支援団体サダーカを立ち上げた。日本でほとんど知られていないシリアが「アラブの春」という一言でくくられ、時折ニュースとなって紛争シーンのみがテレビに登場することが耐えられなかった。

日常の美しいシリアを伝えようと、自分たちが撮ったシリアの風景をポストカードにして配った。シリアの特産であるオリーブ石鹸からできるアレッポ石鹸をチャリティ販売した。

サダーカ立ち上げと同時期に、勤めていた会社を退職しヨルダンでのシリア支援の仕事を選び、2012年7月からヨルダンに赴任した。丁度そのころからだろうか、シリア人同士が過去まったく気にしていなかった宗派、派閥、出身地やエスニシティを探り合うようになった。日本に留学していた友人Aは、シリアに帰っても旧友とはもう話せない・・・ともらした。

紛争の終わりが見えないまま2012年が終わり、2013年が明けた。「罪のない子供たちが毎日道端の死体を見ている。もはや革命ではない。外国の利害の絡んだ戦争だ。殺し合いの連鎖を止めなければいけない」そう主張する協力隊赴任時代からの友人Nではあるが、Nが戦争を止めたいと言った瞬間「この紛争が終わればアサドが生き残る、お前はアサドを擁護するのか!」と血気盛んな反アサド派の若者から一蹴されると言う。

2013年3月一時帰国をした際、赴任時からの友人で日本に留学して3年になるTと会った。実家を破壊され、家族は叔母さんの家に逃げ込んだ。36歳のおじさんが戦闘に巻き込まれて亡くなった。お父さんは自営する店が爆撃されるまでシリアからは離れないつもり、とTは静かに言った。

折しも、サダーカでは、「紛争を止めよう!」というキャンペーンを展開中で、罪のない子供たちの為に今すぐ紛争をやめるよう紛争当事者や世界の指導者、世論に訴えた。キャンペーンの話をするとTの顔が曇った。「国連も国際社会もクソッたれだ。今僕らが必要なのは、アサドを倒すための武器だけだ」普段穏やかな彼の口から出た言葉に凍り付いた。誰の為にシリアの紛争を止めるのかが分からくなった。苦悩の日々が続いた。

それでも、私はアンマンの貧困地域のシリア人の家庭訪問を続け彼らの声を聴き続けた。彼らはアサドに対する憎しみを訴えた後にこう言った。平和がほしい、早くシリアへ還りたい、子供たちに普通の生活、教育を与えたい。

アンマン在住のシリア人の友人Sの最近の言葉が忘れられない。「初めは何かを良くしようとしていたはずなのに、いつの間にか人が人を殺し始めていた、これが戦争の悲劇だ」

「自分にできること」自問自答は続く。

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