ブルース・リーになってしまいました(大森敦之/H6年度1次隊・モロッコ・電気設備)

協力隊のプログラムには、着任後すぐに実施する国内ホームスティという制度がある。自分の任国を知るというのが目的だ。右も左も分からない中で、海に近い町の雑貨屋にホームスティすることになった。雑貨屋だけに収入は比較的に少なく貧しい家だった。しかし、家族は謙遜なイスラム教徒であり、何といっても澄んだ瞳に人柄を察する事ができた。そんな中、フランス語は事前に研修していくが、アラビア語しか通じない家庭の中で3日間過ごすことが始まった。思っていた通り、何をして良いか分からず、最初は言葉のコミュニケーションとして日本語で何というのか?アラビア語では?という事をしばらく繰り返していた。しかし、それも長くは続かなかった。

最初、日本人を物珍しく思い、周りを取り囲んでいた家族や知人もだんだんと飽きてきたらしく、次第に離れていった。このままでは、周りに人が誰も居なくなると危機感を覚えた。

私は、保険として空手の胴衣と黒帯を持参していた。それを手に取った。すると、周囲の雰囲気が一変して、気が付いたら人だかりができていた。期待されている事を肌で感じて、胴衣を着用して空手の形を披露した。空手は、ブルース・リーやジャッキー・チェンを通して知られており、その本家である日本の空手は特別な感じで受け入れられた。空手の形を3つ終えた時点では、家に入れないほどの人だかりになっていた。その後は、お祭り状態が続き、お昼とは比べ物にならないほどの食事が準備されていた。近所の人や友人・知人らが持ち込んだとの事だった。

人の対応に疲れ切った私は、ひたすらに宴が終わり眠れる時を待った。アルコールもないのにいつまで経っても宴は終わらずに、太鼓の音楽やラレ・ラレ・ラレ・ラ…、とベルベルの歌声に盛り上がっていく一方だった。このままでは、疲労で倒れるかもと危険を感じて、眠りたいというジェスチャーを繰り返した。周囲は驚いた様子だったが、納得してくれて、高級そうなマットレスの上に、更に白い絹のシートを敷いた寝床が準備された。それは、家族のチープなものとは異なる上質なものだった。やり過ぎたのかと反省しながらも、疲れには勝てずに横になった。やっと、これで眠れると安心した。しかし、その後凄まじい儀式が用意されていた。横になった私に向かって、一斉にコーランの合唱が始まったのだ。何かがおかしいと思いながらも、彼らの尊敬の視線を今さらどうする事もできずにその日は諦めて眠った。生まれて初めて祈られながら眠ったせいか、翌朝、今までに無い爽快な気分で目が覚めた。イスラム教には、人を癒す何かがあるのだろうと感じた。

翌日、昨日の騒ぎが簡単に収まる事は無く、隣町より空手の現役の先生が来た。筋肉に張りがあり、練習をみただけで、この人は本物だと言う事が分かった。私は、空手から離れて10年程度経過しており、私の弛んだ体とは比較にならなかった。その彼から試合を申し込まれた。言葉は分からなくともジェスチャーで容易に意味を判断できた。私は思った。とてもかなわない。殺される。私も身を守る為にジェスチャーで必死に無理だとアピールした。しかし、皮肉にも私の意図とは異なり、私が強すぎて相手にならないと伝わってしまった。その彼も、なんだか試合を申し込んだ事をすまなかったというような謝罪をして何度も頭を下げてから帰って行った。

その日の晩は、地元でスターの空手の先生を戦いもせずに打ち負かしたというような評判が広がり、更に宴が続いた。なるようになれと思い、激励を3日間耐え忍んだ。帰りに、名産品を沢山受け取り解放された時は本当に2年間この国でやっていけるかどうか、違う意味で心配だった。貴重なホームスティを経験させて頂いた。
 

前のエピソードに戻る 次のエピソードを読む

エピソードコーナートップに戻る

ページの先頭に戻る