アラーがくれた友人(北原 三代志/H15年度1次隊・バングラデシュ・体育)

任期修了まであと残す期間が3ヶ月余りとなったある日、「約2年間暮らしたバングラデシュの記念に何を日本に持って帰ろう」と考えていた。自分の部屋に飾れて、この国を思い出せる品物がいい。

そこで思いついたのが「ノクシカタ」だ。ノクシカタというのは、バングラデシュの伝統刺繍(刺し子)のことで、ベンガル語でノクシが「縫うこと」、カタが「布」、つまり手刺繍を施した布というのがもともとの意味だ。デザインは様々で幾何学模様のようなものもあれば、クジャクや象、トラなど動物を描いたもの、バングラデシュの農村風景やインド植民地支配当時の暮らしを描いたものもある。

私は早速ダッカ郊外で、ノクシカタの指導、製造を行っているスライヤ・ロホマン女史のお宅を訪ねた。彼女が作るノクシカタは美しいデザインと刺繍技術の高さで、他に抜きん出た存在だと聞いたからだ。彼女の作品をいろいろ見せてもらった結果、私が持って帰ろうと思ったのはバングラデシュの農村の暮らしを描いた作品だ。畳一畳ほどの大きさの中には人々の生き生きとした姿があり、一目で気に入った。

しかし先客の予約もあり、完成するまで少なくとも1年半はかかると言われた。私が持って帰れないとなれば、誰かにお願いするしかない。日本人の協力隊員に頼むのも手だが2年以上かかるとすれば、見知らぬ人にお願いすることになる。そこで思いついたのは一緒に働いていたベンガル人の同僚(カウンター・パート)カデムル・イスラムだ。ノクシカタの値段は日本円で7万円、現地では100万円以上の価値はある。この大金を預けられるのは彼しかいないと考えた。

このことを同期の隊員に話すと「北原さん、それはお金を捨てたも同然ですよ」と笑われた。確かに開発途上国では信頼とか約束なんてものが軽く破り捨てられることは日常茶飯事だからだ。自分にとってこれは大きな賭けであった。お金が惜しいわけではない。万が一持ち逃げされるようなことがあれば、カデムルに失望するだけでなく、バングラデシュという国自体を嫌いになってしまうかもしれないからだ。

結局、私はカデムルを信じることに決めた。彼に現金7万円、そしてスライヤ女史には「ノクシカタが完成したら、この男に連絡してくれ」とカデムルの住所と電話番号を書いたメモを渡して私は帰国した。

それから2年半後、バングラデシュから一通の手紙が届いた。カデムルからだ。「ノクシカタが出来上がったぞ。日本に送るか?」という内容で、領収書のコピーも同封されていた。涙が出るほど嬉しかった。「2年後に行くから預かっておいてくれ」と手紙を送り、約束通りに2年後私はバングラデシュに向かった。カデムルと感動の再会となったのは言うまでもない。そしてそのノクシカタを見ると、バングラデシュのオレンジ色の太陽とアッラーが紹介してくれた友人を思い出して、今も心が熱くなるのである。
 

 

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