我が心のふるさとレイテ島(中谷政義/S54年度1次隊・フィリピン・畜産)

任地はレイテ島でした。太平洋戦争最大の決戦場となった島です。赴任したのは終戦後30年も過ぎてからです。見た目からはかつての激戦の模様は想像もできませんでしたが、人々の心には、消え去ることのない様々な思いが満ちていました。
ワークショップなどの後には、当然のようにヤシ酒での宴会がもたれます。酔いが深まるにつれ、何人かは、私のそばにやってきて、自分の身内はどこそこで兵隊に殺害されたとか、必ず、そういう話になります。そのたびに、私の両脇に座っている農業省のカウンターパートが、彼は、当時はまだ産まれてもいなかったのだからと、その場を収めてくれるのでした。

赴任して3カ月ほど過ぎた頃です。いよいよ豚人工授精ワークショップを開催することとなりました。対象は、レイテ島内の農業省、畜産局家畜人工授精センターに所属する家畜人工授精師たち約40名でした。用意した資料に従って淡々と説明していきますが、彼らは、学歴は十分とは言えないまでも、経験は十分につんだ古参のツワモノぞろいです。日本の若造になにができるのか、お手並み拝見といこうではないかという態度がみえみえでした。

私は心中焦っていました。もし、このセミナーでいい印象を抱いてくれなかったら、彼らは二度と足を運んでくれることはないであろう。どうしても成功させなくてはなりません。フラスコに入った豚の精液を手元にかざし、セオリーどおり精液の特徴とかを説明したのち、私は、ひとしきり彼らの顔を眺めた後、思い切って一口ぐいっと飲み込み、「この精液は上等だな。これだったら受胎率はいいぞ」と、笑いながら説明しました。

勿論、こんなことはセオリーにはありません。度肝を抜かれたように、あぜんとした彼らの表情からは、先ほどまでの蔑視の眼差しは消えて、「この男は、おもしろい奴だな」と、思ったのでしょう。逆に親しみの眼差しに変わっていました。ここまでくればしめたものです。私は、これまで彼らの知りえなかった情報や技術をどんどん披露して、完全に私の土俵に引きずりあげました。もとより、向上心は旺盛な彼らでしたから、それからは身を乗り出して話を聞いてくれました。成功裏に終わったセミナーでしたが、この時の印象が強烈だったこともあってか、当日の参加者からは、それからの4年間に及ぶ私の活動の支えとなってくれる人が多く出てきました。

さて、日が経つにつれて、農家の方々からはしだいに信頼が得られるようになってきました。毎日、巡回指導で農家を訪問し、村々で技術改善のワークショップを開き、その後お昼をごちそうになるというような、まさに絵に描いたような隊員活動に明け暮れました。そして、そろそろ帰国の時がきました。畜産局長がタクロバン市長等々をまじえて検討をした結果、私は、「タクロバン市名誉市民章」を授与されることになりました。関係者列席のもと、授与式が執り行われた時は感激でした。

 

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