忍び寄るエイズの恐ろしさ(本間 敦/H10年2次隊・ザンビア・理数科教師)

私がザンビアに赴任した時は、ザンビア人の平均寿命は43歳でした。その頃も4人に1人はエイズに罹っている(HIVを持っている)と云われていました。私が赴任していた学校でも例外に漏れず、私が滞在していた2年間で学校関係者が5人も亡くなりました。
そのうちの1人は亡くなる時の状況からみて心筋梗塞と考えられましたが、残りの4人は理由もわからず短期間に衰弱していっていたので、おそらくエイズだろうと思われます。最初に亡くなられたのはわずか30歳の数学の先生で、私が赴任して2ヵ月目でした。学校葬の形をとり2日間お休みとなりました。その3ヵ月後、隣に住んでいた50歳代の社会の先生が亡くなりました。この先生は私が赴任する前から病院に入院されていたので面識はありませんでした。さらにその2ヵ月後、39歳の社会の先生が亡くなりました。私が赴任してわずか7ヵ月の間に3人もの先生が亡くなってしまいました。
現地の先生達にとって、私が日本からやって来た疫病神のようには見えなかったのだろうかと考えたものでした。このように立て続けに先生が亡くなられるので、最初の先生の時は学校葬として2日間のお休みとなりましたが、後の2人の場合は授業を休むわけにもいかなくなり、わずか1日の休みをとる形をとりました。ここでザンビアの北部地方のお葬式のやり方を述べておきたいと思います。
期間は2日間ありました。亡くなられた日には、亡骸を家の中に置いて、家の中には女性しか入ることができず、男性は外にただひたすら座っているだけでした。日が照っている暑い時には、木陰にいてもかなり暑く厳しい状況でしたが、現地の人達は我慢強く、不平不満を漏らさず、じっと座り続けていました。家からは亡骸の前でただひたすら泣き続ける女性の声が聞こえました。夜になっても、女性は家の中で泣き続け、男性は外で座り続けました。朝晩は冷え込むので、夕方になる頃に男性は焚き火を始めました。それが朝まで続きました。
日本でいうと、お通夜みたいなものです。しかし参加するのは近親者だけではなく、交流のあった人のほとんどが朝まで交代で参列していました。こう云うところに、ザンビアの伝統の奥深さを感じました。そして亡くなられた翌日に、家の前で近親者と交流のあった人達を集め、お葬式を執り行い、最後に1人1人、家から外に出された棺桶に入っている遺体とお別れをしました。その後墓地へと遺体を運び、埋葬式を執り行いました。埋葬するために、かなり深い穴が掘られました。穴掘りの担当は学生でした。
ほとんどのザンビア人はキリスト教を信仰しているので、埋葬式に流れる音楽はすべて聖歌でした。もちろんアカペラでした。それだけで十分でした。本当に黒人のリズム感の良さと音感の良さは天性のものだと思いました。このように、今までの私の人生の中で、これほど濃密に人の死に対して考えさせられた期間もありませんでした。<

 

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