日本人としての青年海外協力隊(森田裕子/H18年1次隊・ベトナム・村落開発普及員)

「お前はファシスト日本を知っているのか」
私は、2006年から2008年の2年間、ベトナムの首都ハノイより北東部へ60キロほどの省にある村役場に赴任した。そこで度々尋ねられたフレーズがこれである。

赴任後、まずはこの目で村の現状を見、直接住民と対話をしたいと、村内の10%に該当する約200世帯を訪問していた。それをきっかけに出会う70歳以上の高齢の方々が真面目な顔で聞く。最初は発音が聞けなくて、理解できなかったが、それでも一生懸命伝えようとするので、説明を聞いていて少しずつ理解した。

青年海外協力隊員として何が貢献できるだろうかと高まる気持ちと共に村を回り始めたときだっただけに非常に戸惑った。しかし、私が「知っている」と答えると、やれ、みつけた、と言わんばかりに「日本軍に食糧を取られたんだ」「日本軍は一緒に畑を耕してくれた」などと、語りはじめた。私個人に対して怒ってくるひとは誰もいないが、「お前は知っておいたほうが良い」と、皆、伝えたくて仕方ないのである。嫌な顔をせずに聞いていると、最後は向こうが穏やかな顔になり、「来てくれてありがとう」と言ってくれる人もいた。

何回か繰り返しているうちに、私は歴史の中に生きているのだ、と実感し、もし彼らの話をただ聞くだけでも彼らの気持ち、先祖の霊が穏やかになるのであれば、私がここの村に赴任した意義はあったのではないか、と考えるようになった。そしてそれは私の先祖のためにもなるような気がした。

ところで、村の調査結果、住民の一番の関心であった「食品の安全」「生活環境問題」に呼応する形で、農協などの協力を得て、循環型農業構築の活動を実施した。具体的には、微生物資材を適用し、環境汚染の原因でもある家畜の糞、米のとぎ汁などを利用して堆肥を作るのであるが、住民側の要望に基づき行政側が各集落でセミナーを開催し、技術を普及していく。その一環として、帰任が近づいたころ、女性グループと村の中の池や井戸の水質を検査し、その結果から改善案を出し合うワークショップを開催したことがあった。

その数日後、村役場のトップである共産党書記長から呼ばれ、「私の母が『昔、日本軍がこの地に来て、井戸の水を汚した。それから半世紀後、また日本人がやってきて、今度は水をきれいにしてくれた』と喜んでいた。ありがとう」との言葉をいただいて、私は感極まった。

親日で知られるベトナムであり、現在、日越関係は極めて友好であるが、過去の戦争の傷跡は人々の中に残っているのである。隊員としての醍醐味は、やはり人々の顔や名前が把握できるレベルで、任国のため、日本のために貢献できることではないだろうか。

 

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