運命のポスター(込谷 晃/H10年度2次隊・フィジー・土木施工)

協力隊に応募したのは、かれこれ15年前にさかのぼる。当時、建設会社で5年目を迎え、土木の現場監督として、都内の下水道工事を担当していた。そんなに大きな目標があって土木を選んだわけではないが、なにか人の役に立つ仕事がしたいと大学で土木を専攻した記憶がある。

しかし、現実と理想はやはり違う。工事をすれば住民から苦情を言われ、仕事も会社である以上利益を最優先に業務をしなければならい。そんなことに行き詰まりを感じ、なぜ仕事をするのかに悩んでいたときに、まさに偶然、帰宅中の電車で協力隊のポスターを見たのである。「平成10年度春募集」。協力隊のことは昔どこかのテレビで井戸かなにかを掘っているドキュメントを見た記憶ぐらいしかない。高校、大学と正直あまり勉強もせず、ただ楽しく学生時代を過ごしてきた自分には「協力隊」は名前を知っているぐらいで関心も特にはなかった。まして「JICA」など、名前も知らなかった。

でもなぜか「これだ!」と思ったのである。これまでの土木の経験が活かせる、また、日本とは違う国でどこまで自分が通用し適応できるのか試せるとワクワクし、もう受かった気になっていた。今思うと恥ずかしいが、相当な自信家だった自分が当時いたことは事実である。すぐに直近の募集説明会をチェックし、それが自宅から近い中野サンプラザだったこともあり、すぐに説明会に行ったことを覚えている。そこでの話は覚えていないが、壇上でうれしそうに話す帰国隊員の姿はいまも覚えている。すぐに応募用紙を記入し郵送した。会社には受かってから話をすればいいと黙っていた。実は結婚していて嫁さんもいたが黙っていた。

書類が通り、二次面接を受け、結果が届いた。受かっている自信はあったが、正直不安も少しあった。「合格」の文字。「フィジー」。どこの国だかよくわからなかったが、うれしかった。しばらくして現実がよみがえった。「ほんとに行っていいんだろうか?」。ずいぶん一人で悩んだ末、嫁さんに打ち明けた。

「行きたいんでしょ、行ってきなよ!」。正直、止められると思っていただけに驚いた。ひとつクリアー。会社に報告。「行くなら辞めて行け! しかし、行かないほうがお前のためだぞ」。とても可愛がってくれていた上司の言葉だった。「辞めます。お世話になりました」。すぐに返事をした。家族に報告。両親は結婚したてのこともあり戸惑っていたが、祖母のひと言で決心がついた。「自分の道は自分で決める。そうやっていままできたんでしょ。おばあちゃんは応援しているわ」。

いま、自分は青年海外協力協会で協力隊事業の支援をしている。あのポスターを見なかったら、いま自分はなにをしているんだろう。祖母は活動中に他界した。偶然だが、倒れる寸前まで自分の母校がでている箱根駅伝を応援し、自分のことを心配してくれていたそうだ。あのポスターを見なかったら・・・。 それでもきっとここにいるんだろう。きっと。

 

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