未来のことはわからない。でも、大丈夫。(須藤基匡/H13年度2次隊・タイ・青少年活動)

マイサープナイアナコ、テーワーマイペンライ(未来のことはわからない。でも、大丈夫)。この言葉がゴールであり、スタートであり、今も心に残る宝物だ。

私は大学卒業後3年半、少年院に勤務し、退職後参加した説明会で協力隊を志した。二度目の挑戦で合格し、タイ南部の少年院に派遣予定となった。当時79日間の訓練は、英語でさえ四苦八苦していた私にはタイ語の習得が大変苦しかった。しかし、同期で同じタイ派遣の仲間や、他国に派遣される仲間がいた。助け合い、励ましあった。親身に接してくださったスタッフもいらした。そして、厳しく、優しくタイ語を教えてくださったタイ語教師、ワルニー先生がいらした。先生は楽しい話題が大好きだった。

いつのまにか先生に引き込まれ、宿題の日記も、どんなことを書いたら先生が笑ってくれるかを考えるようになった。タイ語の辞書をひくのも楽しくなっていた。訓練終盤、秘密の出来事を先生に打ち明けたことがあった。そのとき、先生は話してくれた。「マイサープナイアナコ、テーワーマイペンライ」と。涙が出そうになった。そんな私をタイ語で「男は泣いちゃだめよ」と送り出してくれた。

タイに行ってからも、活動がなかなか軌道に乗らず、焦るときもあった。他国の隊員から、「活動がうまくいっていないのですか。けんかをしても、本気で話せば本気の答えが返ってきます」と励ましてもらったこともあった。決まって立ち返るのが、ワルニー先生の言葉だった。活動先と本気で話した。涙を流したこともあった。しかし、答えは出た。

私は、日本の少年院で働いていたころ日本の社会に適応するよう少年を指導していた。タイの少年たちには日本の少年たちとは全く違う未来があるはずなのだ。まずそれを勉強しようと思った。仲のよい同僚と退院した少年に会いに行った。タイで有名な英語学校に通い、友達になった高校生にティーンエイジャーの文化を教えてもらった。活動も軌道に乗り、帰国後、皇太子殿下への報告会に参加できる位に高い評価をいただくことができた。

協力隊活動後、進路を模索していたときに、ある開発コンサルタントのプログラムに参加した。目からウロコが落ちる内容で自分が訓練中も知りたい内容だった。訓練にいつか導入したいという思いもあり、青年海外協力協会に入職し、訓練スタッフとなった。

そこには、ワルニー先生がいらした。変わらず候補生のことを考えながら教えていらした。先生は体調を崩していらした。それでも、亡くなる直前まで、候補生のタイ語テキストを校正していらした。私は先生の後ろ姿に励まされ、職務に励むことができた。

私は青年海外協力協会を退職後も、震災復興支援や、今の仕事でたくさんの人と関わっている。その中でいつも思う。マイサープナイアナコ、テーワーマイペンライ、と。

 

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