そうだ! うれしいんだ 生きるよろこび(塩飽康利/S61年度2次隊・エチオピア・農業土木)

私が1986年から89年にかけて、農業土木という職種でエチオピアへ行きました。

なんたって1986年頃は「飢餓のエチオピア」で世界中に注目されていた時代でした。国連をはじめとし、多くの国から援助活動をする人や援助物資が入っていました。

私が配属された農業省の利水開発局へも、国連食糧農業機関(FAO)からのガーナ人とインド人、世界銀行からの韓国人、アメリカの民間援助団体からのフィリピン人が入っていました。
なんと軍事援助をしている、キューバや中国、そして北朝鮮からも援助団体が入っていました。

私のエチオピアでの任期も終わりに近づいて来たころの話です。
いつもと同じように職場に行くと、なにやら噂話をしているようです。
「お前は、どうする?」
「おれは、止めとくよ」
「やっぱり、する者はいないだろうね」
なんてことを言っている。なんだろう? と思い、尋ねてみるが教えてはもらえなかった。
「今日の午後1時に説明会がある。みんな参加するように」と言われてから、「お前も来れば分かるよ」と言われれました。

午後1時、集まるように言われた部屋には、職場のほぼ全員が集まった。そこで、局長のほうから話が始まった。
局長の話は、こうだった。
「現在、農業省の利水開発局には、多くの国から援助に来てもらっている。その中の北朝鮮のグループで、輸血が必要になったので、献血をして欲しい」というお願いでした。
輸血が必要になった理由は忘れましたが、たぶん、ケガをして病原菌が体内に入り病気になり輸血ガ必要になったと思います。患者に体力があれば第三国へ移動して輸血を受けることができたのでしょうが、どうやら体力も限界に近く、時間が無いような話だった。一刻も早く輸血をしないと命が危ないらしい。
エチオピアでは、内戦や国境紛争により、ケガや病気になる人が多く、輸血する人も多いようで、血液は大変不足していました。いくら外国から援助に来ているからと言っても優先的に輸血してもらえることはなく、輸血したいなら献血者を集めないとならないのです(日本も昔はそうだった)。
エチオピアに援助で来ていた北朝鮮のグループ内でも献血者を募りましたが、予定人数には届かず、北朝鮮グループの代表が局長にお願いしたようでした。 このころアフリカではエイズが恐れられていて、当然のごとく献血でエイズに感染する可能制性があるため、外国人も献血したがる人はいませんでした。
北朝鮮の代表と局長が、必死の献血のお願いをしましたが、誰もみな、下を向き早く解散させてもらいたいように思っているように感じました。
その場での回答を求めるのも無理だと思ったのでしょうね。「明日まで待つので、最低4名は協力してください。」と言われて解散となり部屋を出ました。
その後、エチオピア人の同僚に、献血をするのかちょっと聞いてみた。彼は、「俺はしないよ。去年だったか親戚の者が軍隊に入っていて輸血をしたからね。」と言う。
お金では買うことが出来ない血液は、飢餓のエチオピではなおさら入手困難なものです。
何を隠そう私も、「はい、献血します!」って手を上げることが出来なかった。それまで、日本では30回以上の献血をして、日本赤十字社から表彰もしてもらっていたが、ここエチオピアでは病院に行ったら病気になるんじゃないと思えるところです。衛生面の不安が大きく、もちろん、エイズに感染すると日本に帰ることができなくなるし、死んでしまう。そして、献血してあげる相手は、北朝鮮人ですよ。私が協力隊で来たのはエチオピアです。なんで北朝鮮の人に献血しないといけんのや?

私が配属されたとき、彼ら北朝鮮のグループはすでに援助に来ていました。専用の部屋を用意してもらいグループで動いていました。決して個人行動はしておらず、お互いが監視するような状態です。通路で出会っても、こちらからあいさつしても見向きもしない。私は、エチオピア人と同じ部屋で、部屋の中には、北朝鮮人が配布した本が置いてあり、その本には、日本は北朝鮮でひどいことをした悪者であると、日本いじめのことが書かれていて、「日本人はこんな悪いことをしているんだといった内容が書かれているぞ!」とエチオピア人の同僚が笑いながら教えてくれたこともあった。
今まで、こんな調子の北朝鮮人たちにどうして献血しないといけないんだ。と思っていました。

翌日、職場に行ってみると献血をするという人が現れた。インド人2名とエチオピア人1名です。
もう後一人です。もう一人は必要だ。

何を狂ったのか、「そんじゃ、俺しますよ」と手を上げてしまいました。
最低でも4人が必要だという、4人が決まりました。
これで終わりです。みんな、これで終わったとほっとした感じです。
なんで、あのときに手を上げたのか良く分かりませんが、半年前に無くなったお父さんのことが脳裏を横切ったからでしょうかね。

献血は、エチオピア赤十字の病院でありました。
迎えの車がやってきて、献血すると言った人を乗せ出発しました。病院に着くと献血ルームに案内されました。いくら血を取られるのか聞いてみると、500ミリリットルとのことでした。
「なに? そんなに取るの?」と聞くと、「普通だよ」って返事があった。「俺の親戚の時には1リットル献血したことがあったよ」って言うエチオピア人もいた。
日本では普通は200ミリリットルで、多い時が400ミリリットルですよねー、500ミリリットルなんてありえない。と思いましたがもう遅い。献血開始です。
献血が終わり、椅子から立つときにちょっとふらついた。周りのエチオピア人はとっさに私の体を支えてくれた。エチオピアに来て初めてだ、エチオピア人がこんなにも私のことを思い気遣ってくれたのは。送りの車が来て、職場の方に送ってくれた。 「今日は、もう帰って体を休めた方がいいぞ」って職場の人たちに言われて帰りました。
数日後、あろうことか「北朝鮮グループから夕食の招待があったぞー!」とエチオピア人が私のところへ来た。 嘘だろうと思っていたら、「献血してもらった人に、中国レストランでお礼の会を開くことになったそうだ」というじゃありませんか。
当日、私に見せたことがない笑顔で北朝鮮のグループが迎えにきた。
中国レストランでは、料理が次から次へと出てくる。
「これを食べたら元気になる」とか、「ワインを飲めよ。血ができるぞ!」なんて、北朝鮮の人と話をするのは初めてだが、私が献血したことで、一気に壁は崩れた。
彼らは、日本を日本人を嫌っていたんじゃなかった。日本に興味はたくさんあり、ある人は親戚が日本にいるという。日本の事をもっと知りたいと願っていた。
会が終わり帰る時には、大事にしている高麗人参のお土産をいただいた。

それからと言うもの、北朝鮮人たちから声をかけてくれるようになった。私が歩いて帰ってるとわざわざ車を止めて乗せて帰ってくれることもあったが、私の任期も終わり帰ることになりました。
帰って一番の心配がエイズ検査でした。
検査を受けないなんて言えないし、検査でエイズとなるとどうしたらいいんだ。ってことになる。いくら考えてもしょうがない。
何日後だったか、検査結果が届きほっとした。

 

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