未だにわからない話(片桐佳子/H16年度3次隊・インドネシア・助産師)

私はインドネシアのバリ島東にある、ロンボク島のある地域で、助産師隊員として活動していました。村の診療所の分娩室にはベット一つと、バケツに汲んだ水があるところでした。村の助産師に呼ばれて分娩室に入ると、大きなお腹のお母さんが分娩室に横になっていて、陰部からは赤ちゃんの足が出ていました。日本では教科書でしかみたことのない、危険な状態でした。お腹も大きすぎるが、聞くと3人目の子供とのこと。村の助産師とすぐに手袋をはめて、お産に取りかかりました。もう片方の足を何とかして出したものの、子供は両手を挙げる姿勢で引っかかって、どうにもでてきません。村の助産師とかわるがわる赤ちゃんの姿勢を換えようとしたり、色々試みました。本当に修羅場でした。私もこんなときは、脱臼させればいい、ということは知っていても、どう脱臼させればいいのか、分からず、二人で何とかしようと必死でした。何分経ったのか覚えていません。試行錯誤するうちに両腕まででましたが、今度は頭が引っかかり、そこからまた修羅場だったのを覚えています。出てきた子は、3,000グラムの女の子。タオル一枚もなく、不安定な箱の上に、座布団のようなものを置き、その上に寝かせるしかありませんでした。心臓の音を聞くと、かろうじて動いていました。「酸素は?」と聞くと、「ない」とのこと。ポンプ式の空気を送るマスクを当てながら、息をしてー!と念じていました。ちょうどその時、後ろで胎盤を出していた村の助産師が、「双子だ!」と叫びました。次に出てきた子は1,700グラム。双子の姉妹でした。

二人目は既に心臓は止まっていました。小さなマットにふたり並べられ、私はずっとマスクで空気を送っていました。私が手を止めると、その子の心臓はゆっくりになり、私はどこまで続ければいいのか判断できませんでした。その時、伝統産婆がこの子はダメねといい、結局伝統産婆、村の助産師、診療所長、両親で話してあきらめる事になりました。私が手を止め、お母さんの身支度を手伝って振り返ると、そこに寝かされていた双子の姉妹がいません。聞くと、埋めにいったとのこと。イスラムの教えで、24時間以内に埋葬しなければならないからです。おそらく、まだ心臓は動いていたと思います。日本の医療では、絶対に諦めることはなかったと思います。救わなければならなかったと思います。でも、ここでは、死ぬことは悪いことではなく、神に近くなるという考え方もし、そこで救っても助からない命は助けないという考えもしました。

私はその日だけは、どうしても日本語でこの気持ちを話したくて、現地に在住の日本人のところに行き、このことを一気に話して、ようやく落ち着いたのを覚えています。何が正しかったのか、どうすれば良かったのか、未だに分かりません。

 

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