震災をうけて (林田未央/H22年度3次隊・ミクロネシア・幼児教育)

2011年1月6日から2013年1月5日まで、ミクロネシアのポンペイ島に派遣されました。ポンペイ島一番の田舎に住んでいた私は、月に1、2回は都市へあがり、日本人に会って思いっきり日本語で会話をしたりネットでメールをチェックしたり、日本のニュースを知ることが楽しみでした。

2011年3月11日。偶然この日都市部へあがっていた私はJICA事務所で日本の地震と津波のニュースを聞きました。いつもなら楽しみな日本のニュースでしたが、この日はNHKワールドから流れる映像を見て、言葉を失いました。

2日後には任地へ戻り、テレビもネットもない生活に戻りました。心は落ち着かず、でも、村のたくさんの人が声をかけてくれました。都市に働きに出ている人がニュースを見てきては村のみんなにも日本の状況を伝えてくれたのです。でも「私たちにできることがあったら何でも言ってね」と言ってくれる村の人たちの優しさを前に、自分さえどうすればいいかさえ分からずおろおろしている自分。その上、赴任して2ヶ月の私にとっては現地で活動らしい活動もできておらず、いったい自分は何のためにここにいるのか、何がしたくてここに来たのか、それさえ見失いそうで、そんな自分に苛立ちました。

そんな私を、同僚のパウリーナ先生が抱きしめて言ってくれた言葉があります。
「私たちが日本を本気で心配しているのはあなたがここにいるから。もしもあなたがここに来てくれなかったら、こんなに私たちが本気で日本を助けたいと思うことはなかった、こんなに日本が大切だとは思えなかった。あなたがここにいることが、こんなにも大きな意味を持っているということを忘れないで。」

予想もしなかったパウリーナの言葉に、私は胸がつまりました。そして、私は今ここでできる精一杯のことをしよう、それが日本に繋がっているのかもしれないと思うことができました。

私はこの時、国際協力の本当の意味に気づかされたような気がします。

私を通して日本を知ってもらい、私を通してミクロネシアのことを日本に伝える。それが心の通った国際理解となり、国際協力へと繋がっていくのかもしれない。国際協力は決して特別なことではなく、人と人とのあたたかい人間関係が生み出すもの。言い換えれば、今自分の隣にいる人を大切にすること、それが時には国境を超えて人を繋ぎ、国を超えて支え合う社会を作るのかもしれないとい思いました。

ミクロネシアからは、たくさんの寄付金が集まり日本に送られました。街のあちこちで沸き起こった日本を助けるための募金活動の光景が私は忘れられません。

私たち隊員は、何かの形でお礼がしたくて「祭-JAPAN DAY-」という大きなイベントを開きました。日本食や浴衣、盆踊り、日本遊びなど様々な日本文化を紹介し、共に歌い、踊り、共に楽しい時間を過ごしました。「日本がもっと好きになった」と言ってくれた現地の人の言葉と笑顔が、今も強く心に残っています。

国境や宗教、言語、文化・・・様々な壁を超えて、人は理解し合えると思います。同じ地球に生きる「地球人」としての視点を忘れず、全ての人を尊く思える生き方ができるといいなと思っています。

 

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