自習を見守った4年間~釜石スクラムスクールでの活動を終えて(2016年3月24日掲載)

震災後、仮設住宅に入居しているなどの事情により落ち着いて勉強する場所がない釜石市内の中高生に向けて、当協会は釜石市教育委員会との連携の下、自学自習の場となる学習室と、社会学習イベントを開催する「釜石スクラムスクール」を2012年5月より運営してきました(イベント事業は2015年3月末に終了)。苦手な中高生が多い英語と理科・数学をサポートする学習支援員として、教育分野での経験がある青年海外協力隊経験者を配置。学習室は多くの中高生に利用されてきましたが、震災から5年を迎えた2016年3月11日に事業が終了することとなりました。オープンから終了時まで活動した漆原学習支援員からの報告を紹介します。

自ら学ぶ生徒たち

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静かに自習する生徒たち(3月11日撮影)

2016年3月11日、震災から5年目に当たるこの日は、釜石スクラムスクールの最終日でもありました。この日は10人の生徒が来てくれました。

釜石スクラムスクールは、約4年前の2012年5月にオープンしました。震災後、自宅で落ち着いて勉強するのが困難な中高生に、放課後の学習の場を提供することを目的に、月水金は午後4時から、土日と祝日は正午から午後9時まで、釜石駅近くの市教育センター内で開室しました。

名前に“スクール”とありますが、基本的には生徒たちの自習の場。出入りは自由で、分からないことがあれば常駐する2名の学習支援員に質問します。筆者はそのうちの1人、主に理数科目を担当する学習支援員として着任しました。

オープン初日、「いったい生徒は来るのだろうか」と半信半疑な気持ちでいたところ、6人の生徒が来てくれて、少し安心したことを思い出します。質問された高校数学の問題に時間がかかりながらも何とか答えられた時には、ほっとしました。

スクラムスクールの対象は釜石の中高生。つまり仮設住宅在住者に限定していません。仮設住宅に住む生徒も、被災して賃貸住宅等に移った生徒も、その友達も、みんな一緒に学習できます。自由登校なので、日によって利用者の人数、顔ぶれは変わりますが、平均すると1日当たり10人程度の利用。オープン間もないころには誰も来なかった日もありましたが、多い時には30人を超えることもありました。宿題、テスト対策、受験勉強など、生徒たちは、こちらが特に何か言わなくても静かに学習室で勉強しています。学校の授業が学びを受ける場であるとすれば、ここは自ら学びにくる場。それを見守るのが学習支援員の役目と考えながら、仕事に当たりました。時には質問に即答できなかったこともあり、私自身悔しいと思いつつ、生徒には申し訳なかったなあと思います。

復興が進む釜石と、目標に向かって進む生徒たち

オープン前日に釜石入りした私にとって、ここは初めての東日本大震災の被災地でした。震災当時は青年海外協力隊員として南アフリカ共和国にいたため、それまで震災以降の三陸の様子はあまり知りませんでした。1年余りたった時点でも、家の基礎だけが残る空き地、壊れたままの建物など、あらゆるところに震災の名残が見られました。その後の4年間、街の変化の様子を私は間近で見ることができました。今では盛り土工事が進み、新しい建物も増えて、私の住まいの仮設団地でも空き部屋が目立つようになりました。スクラムスクールに通う生徒の何人かは、仮設住宅から復興住宅などに住所が変わりました。

そして今、全員がスクラムスクール卒業となりました。帰宅するバスの中でずっと参考書を見ていた生徒、スーパーの飲食コーナーで友達とノートを広げていた生徒たち、これまでの卒業生の姿が今でも目に浮かびます。自ら学習するためにスクラムスクールに通ったのと同様に、今後も自らの意志でそれぞれの目標に進んでいってほしいと思います。かく言う私も、もちろん卒業。自分も挑戦する心を忘れないように、と生徒たちを見続けてきて改めて感じます。卒業生のみなさん、いつかどこかで会った際には声をかけてください。何か質問があれば、分かる範囲で答えます。

復興の続く釜石で、スクラムスクールの終了は新たな段階へのスタート。私も今後の復興の道のりを応援し続けたいと思います。最後に、釜石スクラムスクールは私にとっても大変貴重な体験となりました。利用してくれたみなさん、支えてくださったみなさん、そして私に温かく接してくださった周囲のみなさん、ありがとうございました。

報告: 漆原達一(平成21年度3次隊/南アフリカ共和国/科学)

 

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