No.7 町民一人ひとりが持つドラマ 復興にかける女川の“いま”を発信

いのちの石碑除幕式の様子
中学生が詠んだ「夢だけは壊せなかった大震災」
という俳句が刻まれたいのちの石碑除幕式の様子

 

「すぐに家族の安否確認を」。あの朝、任国だった北アフリカ・モロッコでも緊急連絡網が回り、ニュースで流れる映像は現地の人にも大きなショックを与えました。何も動けぬ葛藤の中、とにかく頭を切り替え目の前の活動に取り組みました。

帰国後は以前の編集経験から、復興庁宮城復興局の復興支援専門員として女川町役場の広報広聴係に配属され、現在は主に広報紙の編集業務にあたっています。連日45度を超えた真夏のモロッコから半年、最高気温が氷点下という東北の冬。気温差50度に体は凍てつくようですが、被災してがらんとした街の様子に胸が締めつけられ、熱い思いが毎日のように込み上げます。

女川町は津波の被害が特に甚大で、市街地の約7割が流失、人口の約12人に1人が犠牲になるなど、壊滅的な被害を受けました。風光明媚で特に海から昇る朝日には心を奪われますが、その特徴的なリアス式海岸から津波の高さは20メートルに達したと言われます。職場の同僚も全員が被災者で、震災当夜、電気もない真っ暗な闇の中で津波の引き寄せる音に怯えていたことを仕事帰りに聞きました。町の行事を取材することも多く、女川中学校の生徒が寄付を募って建てた「いのちの石碑」や、支援によって再出発した太鼓グループなど、その一つひとつにドラマがあり、カメラを握る手が震えます。

震災から3年。住宅・公共施設の高台移転やインフラ整備、災害公営住宅の完成に震災遺構の保存、また平成27年3月に迎える駅周辺のまちびらきなど、復興は一歩一歩着実に進んでいます。協力隊経験で培った行動力を生かし、広報として生活を支える情報を町民へ提供するとともに、復興の様子を全国にリアルタイムで発信したいと思います。

ところで、協力隊時代の私の職種は卓球でした。実は今でも、隣の石巻市でボランティアとして有望なジュニア選手を指導しています。いろいろな側面から輪を広げ、元隊員ならではの発想で東北の復興に少しでも刺激を与えられればいいですね。

宮城県牡鹿郡女川町配属 宮城復興局 復興支援専門員 坂本 卓也
(平成22年度2次隊/モロッコ/卓球)
 

※当協会広報紙Springboard 2014年4月号からの転載

 

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