「子籠り鮭」の復活を目指して(2015年9月25日掲載)

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鮭1匹に卵2~3匹分を収めた「子籠り鮭」。
豪華な印象です(想像図)

今回は、仮設住宅にお住まいの方が教えてくださったお話を紹介します。

子籠り鮭(こごもりさけ)とは、鮭の塩蔵加工品の一つで、子篭り鮭、鮭子籠、入れ子鮭とも呼ばれ、鮭の腹部にその卵が収められたものです。仙台藩では、子籠り鮭は将軍家や幕閣、有力な諸大名や公家に対する進物として大変重要視されており、藩には「鮭子籠等の役」という役職も存在していました。子籠り鮭は北日本の各藩でも製造されていましたが、仙台藩のものは「味が良い・卵巣の量が多い・腹を裂かない(卵巣を取り出さない)」点で他藩に勝っていたようです。

 

 

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現在の阿武隈川の河口

慶長16(1611)年の津波被害の復興対策として岩沼市沿岸部(相野釜・長谷釜地区)では製塩業が始まりました。享保4(1719)年の奥羽観蹟聞老志によれば『鮭は阿武隈川の河口の蒲崎、荒浜、及び北上川河口の石巻横川の鮭が最上』とされています。

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かつて「御肴御仕込御蔵」があった場所

安永年間(1772~1781年)の安永風土記によれば、蒲崎地区には「御肴御仕込御蔵」の存在が記されています。これは仙台藩の、子籠り鮭や塩引き鮭の製造及び貯蔵設備です。寛政10(1798)年の封内土産考によれば、阿武隈川でとれる鮭は味がよく、蒲崎産の鮭に勝るものはない、と記されています。

 

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今年からキュウリの栽培が再開されました

蒲崎・納屋地区の子籠り鮭は品質が大変よいため、身分の高い人たちの進物に利用されたと思われます。仙台藩の子籠り鮭は、幕藩体制の中でその真価を発揮したものの、体制が崩壊した明治以後は生産量が減少したと考えられます。大正6(1917)年発行の「仙台物産沿革」によれば、製法に変化が見られ、特別の注文がなければ製造はしないと記されており、仙台藩仕様の子籠り鮭の技法は途絶えたと思われます。

昭和40年代から最近まで、ビニールハウスでキュウリを栽培し岩沼市の農業を牽引してきた蒲崎・納屋の人々は、江戸時代に鮭漁やその加工に関わり、仙台藩の藩政に貢献してきた人々の子孫です。

 

 

 

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最後の製造技術者が住んでいた場所

最近、宮城県において、子籠り鮭の名を付し類似の再現品の販売が試みられています。しかし、子籠り鮭の製造技術の大半が「塩引き鮭」と共通しており、この技術が途絶えた現在の宮城県内では再現が困難と思われます。

東日本大震災で災害危険区域の指定になり集団移転を余儀なくされた蒲崎、新浜地区で、かつて作られていた子籠り鮭がこのまま埋もれてしまうのは忍びないと、寺島地区の方が調べて教えてくださいました。

 

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地酒「ごこく波」

現在、年内試食に向け準備を進めているところだとのことです。純米酒をつくるために岩沼特産米「ひより」「ごこく波」を開発された方と、この取り組みで活動されています。これから、鮭の遡上の季節です。現代風に加工される、古くて新しい特産品の復活を楽しみにしています。

 

報告:里の杜サポートセンター 黒川順子(平成17年度1次隊/ラオス/看護師)

2016年1月8日追記:取り組みの進捗がメディアで紹介されました。

▼子籠鮭を後世へ 住民有志が再現(河北新報2016年1月1日)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201601/20160101_15011.html

▼宮城)仙台藩の正月料理「子籠り鮭」復活に挑む(朝日新聞デジタル 2016年1月6日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHDW64VQHDWUNHB00K.html

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