釜石に住み活動し、感じること~釜石スクラムスクール スタッフの思い(2015年3月10日掲載)

2012年5月にスタートした、中高生のための学習支援事業「釜石スクラムスクール」。学習支援員、イベントコーディネーターの職種で、4人の国内協力隊員が活動しています。震災の発生からまもなく4年、スクールの立ち上げから3年。釜石に暮らし活動する、それぞれの思いを紹介します。

学習支援員から

漆原達一(平成21年度3次隊/南アフリカ共和国/科学)

スクラムスクール
学習室の様子(2012年9月撮影)

 

釜石市からの委託を受けて当協会が実施している釜石スクラムスクールは、釜石の復興を担う人材の育成を目的に、2012(平成24)年5月の開始以来、子どもたちの放課後の学習の場を提供する学習室と、週末の社会学習イベント開催の二つの活動を行ってきました。

現在4人いるスクラムスクール担当者の中で、私は事業開始以来、学習室を担当してきました。中高生を対象としたこの学習室は基本的には自学自習の場で、生徒たちは何か分からないところがあれば、われわれ学習支援員に質問します。登録さえすれば誰でも利用できるので、利用者の中には、仮設住宅在住者のほかにも、例えば「みなし仮設」、つまり既存の集合住宅等に移り住んだ被災生徒などもいます。実際のところ、われわれが質問を受けることは少なく、たいてい、みな静かに宿題などを行っているので、ちょうど図書館などにある自習室のような雰囲気。生徒たちは自分で勉強する場を求めてここに来ています。

この学習室のスタイルは開始当初も今も変わりません。一方、長く利用している生徒たちの何人かは住所が変わり、登録者に占める仮設住宅在住者の割合はだんだん少なくなってきました。復興住宅が建ち始めるなど、周囲の景色は少しずつですが変わりつつあります。このような街並みの再生と同様、施設以外のところ、目に見えない部分の再生も、時間をかけて少しずつ進める必要があるのだろうと、今改めて思います。

 

宮原徹也(平成22年度4次隊/ドミニカ/統計)

東日本大震災は、子どもたちの学習環境にも大きな影響を与えました。そのマイナスを少しでも補おうというのがスクラムスクールの学習室の役割です。将来の夢に向かって進む子どもたちも、例えば高校3年生になれば、大学入試という形で日本全国の学生と純粋に学力のみを競うことになります。そこでは、「被災して仮設住まいを強いられて、落ち着いて勉強することができなかった」「経済状態が悪く塾へ行けなかった」などの言い訳は通じません。やる気や目標があっても学習する場所のない子どもたちにとって、今でもこの学習室が「学びのシェルター」であり続けていることは事実です。

学習室では授業など積極的な教育活動を行ってはいません。ですが、毎日多くの中高生が黙々と自分の課題に取り組んでいます。そして、緊張感のある雰囲気が利用者に「学習室=学習の場」という意識を生じさせています。実際、私が2014年春に着任してからこれまでの1年間、生徒たちが教室内で私語を続けたり大声で騒ぐことはありませんでした。学習支援員も良い学習環境を作ろうと努めていますが、学習室の現在の雰囲気を作ったのは子どもたち自身なのです

イベントコーディネーターから

岩田いづみ(平成21年度4次隊/マラウイ/青少年活動)

写真
漁師さんたちの協力を得て漁場見学イベントを開催
(2014年6月)

 

社会学習イベントは地元釜石を見つめなおすことと国際的な視点を養うことを主なテーマとして、子どもたちとその保護者を対象に開催してきました。イベントの実施に当たって私たちは、震災復興にとらわれず、子どもたちがより釜石を好きになったらいいなという思いで携わっていました。協力隊での活動にも一部共通するものがあると思いますが、一歩引いた視点、外からの視点で見ると発見できる現地の魅力というのがあると思います。

釜石の人には普通で当たり前のことでも、実は他所では見られない貴重な文化や豊かな自然というものがたくさんあります。さらに、しばらく生活していれば、温かな言葉やかけがえのない伝統的な文化がどんどん見つかります。それらを浮き彫りにし、改めて地元の人に伝えていくこと、さらに地元の人同士がつながり、教え合い、引き継いでいくことで、地域柄の愛着がより大きく育ち、もっともっと釜石を好きになると思うのです。

月に2回開催するイベントでは、異なる学校・学年の子ども同士、また家族の交流の場にもなっていました。また、釜石の農家の方に教えていただいた団子やそばづくりの企画、漁師の方々にご協力いただいた漁場見学や釣り体験企画では、単なる料理や職業体験にとどまらず、普段の生活では出会えない年代や職種の方々とつながる場にもなっていました。

これからもスクラムスクールにかかわった子どもたちのつながりが広がり、輪となって続いていくことを願っています。

 

池田 梓(平成16年度2次隊/エクアドル/養護)

2011年3月の震災当時、私は青年海外協力隊で活動していたエクアドルへ半年間の旅行中で、震災のニュースを知ったのは現地人の友人からの電話でした。予定を早めて帰国し、当協会の災害救援専門ボランティアの一員として釜石に入りました。

当時、震災から半月程が過ぎていましたが、釜石の街並みは無残な状態で瓦礫の山でした。私は釜石市の職員の方と一緒に、被害状況や健康状態の把握の為、被災した家を一軒一軒訪問調査しました。当時はまだ仮設住宅もなく、避難所のお風呂は段差のある簡易なもののみでしたので、障がい者や高齢者の方々の入浴介助も活動の一つでした。

仕事の都合で10日程度の活動だったこともあり、これといって何もできなかったのが正直なところです。

時を経て2014年4月、私は釜石スクラムスクールのイベントコーディネーターとして再び釜石に来ました。震災当初しか知らなかった釜石の街並みは、見違えるほどキレイになっていました。とはいえ、本当に3年も過ぎたのだろうか、と思うほど、まだたくさんの工事車両が行き交い、多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされていました。3年を経て、今やっと復興に向けたインフラ整備が始まったばかり・・・そう感じたことを覚えています。私も普段生活する分にはさほど不便もなく過ごしていますが、震災当時の写真や映像を見る機会があると、やはり胸が痛みます。震災を経験していない私でも緊張してしまうことを考えると、実際に被災した方々は日々その恐怖と不安を少なからず抱いているのではないでしょうか。

スクラムスクールでは、まずは私たち自身がやってみたいこと、知りたいことなどを軸に企画し、加えて子どもたちに釜石をもっと好きになってほしいとイベントを開催してきました。例えば「海」でのイベント。被災した子どもたちにとって大きな壁ではないかと思いましたが、釜石の豊かな海に感じてほしいことが山のようにあったので実施しました。でも実は私たちが敏感になりすぎていたのかもしれません。あるイベントでは、被災した時のことを語ってくれた参加者もいました。震災で学んだことを子どもたちへ、そのまた子どもたちへ語り継いでいくことが必要だと感じました。

イベントを企画していく中で、地元の方だけでなく、多くの方との出会いがありました。たくさんの団体が復興支援に携わり、多くの人が釜石をよりよくするために試行錯誤しながら支えている様を目の当たりにしてきました。青年海外協力隊の活動でも共通することですが、一人では困難なことでも、たくさんの人の理解や協力があればできることは多くあります。私自身、スクラムスクールを通じて、人と人とのつながりの大切さを改めて感じました。学校や学年の違う子ども達がイベントを通じて交流し、小さなコミュニティができ、協力しあう様子を見て、この仕事に携わることができて良かったと思います。

 

釜石スクラムスクールサイトはこちらから

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