シャトルが運ぶ友情-モンゴルバドミントン選手団による被災地支援(2012年3月16日)

東日本大震災に対し、支援物資の供与やレスキューチーム派遣のほか、すべての公務員が1日分の給与相当額を義援金として寄付するなど、日本に温かな支援の手を差し伸べてくれたモンゴル。現在、業務調整員として岩手県で震災支援事業に携わる元モンゴルバドミントン隊員、亀山明生職員(平成12年度2次隊)のもとに、以前のカウンターパートだった同国バドミントン協会から「被災地の子どもたちを励ましたい」との申し出が寄せられたことから、当協会は、「モンゴル国バドミントン選手団による東日本大地震被災地支援事業」(後援:外務省、独立行政法人 国際協力機構〔JICA〕、共催:岩手県青年海外協力協会、青年海外協力隊モンゴルOB会)を実施。2月27日から3月9日まで約10名の選手団が日本に滞在し、岩手県の被災地の方々とバドミントンを通じた交流を行いました。 

一列に並んだ選手団
釜石中学校の生徒たちに挨拶するモンゴル選手団

来日した選手団は、亀山職員の隊員時代のカウンターパートで、元ナショナルチームのコーチ、ジャダンバ・ゲレルエルデンさんを代表に、ナショナルチーム選手2名、バドミントンが行われている3県の代表選手6名(13~16歳)と、広報担当者を加えた計10名です。

一行は、29日より岩手県を訪れ、被災した大船渡市や釜石市を訪れて、小中学生や一般のバドミントン愛好者らと合同練習や親善試合を通じて交流しました。中でも、3月1日に訪れた大船渡市立赤﨑小学校での合同練習はとても和やかな交流となったようで、選手は口々に「とても楽しかった」と話していました。 

「お茶っこサロン」でおもてなし 

遠野仮設住宅サポートセンターで
モンゴルの歌を披露する選手

バドミントンだけでなく、選手たちは、釜石市や大槌町など沿岸部で被災した方々が暮らす遠野市の仮設住宅「希望の郷(さと)絆」のサポートセンターも訪問し、人々と交流を図りました。このセンターでは、帰国隊員の安武眞由美さん(平成21年度1次隊/モンゴル/理学療法士)と、柴田幸江さん(平成21年度1次隊/ラオス/看護師)が支援員として活動しています。選手団がカタコトの日本語で挨拶と自己紹介を述べると、「希望の郷」に入居する方々は、元モンゴル隊員の安武さんから習ったカタコトのモンゴル語で挨拶を返し、少し緊張気味だった雰囲気が徐々にほぐれてきました。

同センターでは入居者の懇親の場として定期的に「お茶っこサロン」を開催しています。この日は日本とモンゴルのお茶うけを披露しあう「モンゴルお茶っこサロン」として開催。選手団は、参加者にお茶やお菓子をふるまう「おもてなし役」も務めました。

最初は緊張した雰囲気でしたが、お互いに日本語、モンゴル語でのあいさつや、選手団が着てきたモンゴルの民族衣装の「着せ替え」会、モンゴルの歌の披露などで、室内には明るい笑い声が響き、参加者からは「おかげさまで今日もいい一日になった」との声が聞かれました。歩いて帰る一行を外まで見送ってくれる方もおり、楽しい時間づくりに選手団が少なからずお役に立てたようでした。 

 料理とダンスとホームステイ

お互いの国の料理を習います
お互いの国の料理を、ホストファミリ-宅の中学生たちと作ります

その後遠野市で、6人の選手が2泊3日のホームステイを体験。ホストファミリーとの親睦の場として、2日に双方の郷土料理を紹介するイベントを開催しました。モンゴル選手団と日本側関係者が作ったモンゴルの「ボーズ」(羊肉の蒸し餃子)のほか、遠野の「ひっつみ」(こねた小麦粉を薄く伸ばしてちぎり、野菜などと煮込んだ汁物)とおにぎりが振る舞われました。

遠野の名物料理は「ジンギスカン」。羊肉の食文化があることから、「ボーズ」は遠野の方にも大人気でした。双方の料理に舌鼓を打った後、アイスブレイクとして、参加者も巻き込んでモンゴルで流行の曲に合わせてみんなでダンス。すっかり打ち解けたところで、選手たちはホストファミリーのお宅に向かいました。


初めて作った「おにぎり」


盛り上がったダンス


別れがたい朝。ホームステイ先の中学生と

モンゴルのバドミントン事情 


ゾルザヤーさん(左)とエンデルバヤルさん(右)と
亀山職員(手前)の師弟対決

亀山職員が協力隊員として活動したのは2000~2002年。当時、13、14歳だった2人の教え子、ムンフバートル・ゾルザヤーさん(24歳)とエンフボルド・エルデンバヤルさん(23歳)は現在、ナショナルチームの選手として活躍しています。「亀山さんは厳しい先生だった」と話すのは、エルデンバヤルさん。一方、ゾルザヤーさんは「亀山さんはダブルスの試合をする機会を設けてくれ、そこからいろいろなことを学んだ」と言っていました。

亀山隊員は、モンゴルで二人目のバドミントン隊員でした。それまではシングルスが中心で、亀山隊員着任後にダブルスの練習が始まってからはバドミントンの楽しさ、奥深さが広がったとのこと。そして二人は、亀山隊員から競技に必要な心の強さを学んだからこそ、ナショナルチームの選手になれた、と語ってくれました。

 


亀山職員(奥)のコーチの下で、フォームの練習に励む選手

モンゴルのバドミントンの歴史は浅く、競技として行われているのは首都と21県のうちたった3県で、競技人口も120人程度。用具が不足し、さらには指導者層が薄いため、きちんとしたフォームが習得できていない選手もいました。訪問先の学校で技術を教えてもらった選手もおり、短期間ながら、来日期間中に多くの選手の技術を上達させていました。

 

日本で得たもの、学んだもの

その後大船渡市では被災後操業を再開した工場を訪れ、日本の産業の現場を見学しました。一方盛岡では、岩手県青年海外協力協会との懇親会が開かれ、協力隊OBからモンゴル選手たちの憧れだったバドミントン用品メーカー「YONEX」のTシャツをプレゼントされるなど、うれしい場面もあったようです。 

 


思い出に残った、赤崎小学校との交流

その後再び東京に戻り、帰国前日の3月8日にJOCA本部で報告会が行われました。ほとんどの選手が、被災地の風景に心を痛め、一方で、ホームステイで日本の家族に温かく迎え入れてもらえたことがうれしかった、と話しました。

このほか、「津波の被害を受けた子どもたちと一緒にバドミントンをできたことで、少しでも元気づけられたのではないかと思う」(前述のエルデンバヤルさん)、「バドミントンでの交流を通じ、友達がたくさんできた」(シャラウジャムツ・ハンノルジマーさん=16歳)、「津波の被災地の風景を見て悲しくなったが、そんな状況でも頑張る日本の人々の姿を見て感動した。また、ホームステイで日本の行事や文化に触れたこともよい思い出になった」(ウスフバヤル・ビリグーンさん=13歳)などの感想が述べられ、選手たちは日本で多くを学んだ様子がうかがえました。 

 


移動中、バスの車窓から見えるがれきの山


黙祷を捧げる選手たち


日本語とモンゴル語で「がんばって」「シチゲレー」と応援


訪れた先では、励ましのメッセージを送りました

被災地の子どもたちにとっても、モンゴル選手との交流は大きな励みになったようです。4日に訪れた釜石中学校では、モンゴルでは選手たちがシャトルの代わりに丸めた新聞紙を使って練習すると聞き、生徒の一人が「そんな状況でも自分たちを励ましに来てくれたことがうれしい」と話してくれた場面がありました。

また、バドミントン部を受け持つ先生からは「今度は私たちがモンゴルに行って交流を深めたい」とのコメントが寄せられ、さらなる交流の深化に発展する可能性も生まれました。

 

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